【真珠湾への道】参

序章 日華事変


第一節 日華事変前夜の国際情勢

 明治維新で近代化を達成した日本は日清、日露戦争に勝利し列強諸国の一員となった。

この両戦役によって日本は朝鮮半島を植民地とし、

満州(現在の中国東北部)に合法的に鉄道等の権益を確保した。

その後、満州には多くの日本人居留民が生活を始めた。

そして居留民保護と権益防衛のため関東軍が満州に駐留することとなった。

ところが中国は辛亥革命後軍閥が群雄割拠する内戦状態に陥り、外国人が殺害される事態が続発した。

わけても最大の被害を受けたのは日本人居留民だった。

現地では関東軍による居留民保護を求める声が強まったが

国際協調外交を唱える日本の幣原喜重郎外相がこれを認めなかった。


第三次南京事件など大使館員、居留民が殺害される事態が相次ぎ国民の間では軍に期待をかける動きが高まっていった。

関東軍参謀として石原莞爾が着任した。
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石原はいずれ西洋の代表アメリカと東洋の代表日本が世界最終戦争を行うという

独自の世界観「世界最終戦争論」を主張する人物であった。

石原は来るべき対米戦に備え満州を植民地として確保し、

ソ連と戦い日中同盟を結成するべきだと考えていた。

1931年(昭和6年)、石原は関東軍参謀と共謀し関東軍を出動させ、

満州一体を占領下に置いた、いわゆる満州事変である。

この事件は本国の文民政府を無視し、現地軍が独断で行動した。

軍事クーデター同様の事態である。

だがこれまでの中国軍による居留民殺害事件と

煮え切らない政府の対応に沸騰していた世論は諸手をあげてこれを支持し、

政府もこれを追認してしまう。

勢いに乗る石原は1932年(昭和7年)に同地に満州国を建国。
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1933年(昭和8年)「タンクー停戦協定」によって満州事変は停戦となった。

だが国際連盟はこの行動を侵略と決議し、満州国そのものを否認する。

それに対し日本は国際連盟から脱退し以後国際的に孤立してしまう。

満州事変は多くの禍根を残した。

国際的に孤立し経済不況に喘いでいた日本が満州国という属領を背負い込むこととなった。

そして最大の問題は軍人官僚らの独走を許容してしまったことである。

満州事変という軍事クーデターが取り締まれらなかった結果、

軍部に新たなテロリストやクーデター首謀者を醸成する結果となった。

2・26事件、終戦直前の宮城占拠事件と終戦まで軍人によるテロは続くこととなるのである。


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posted by 右野翼 滅罪 at 23:00 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中国は近代化しとりゃあせんど!




日本には八百万の神々がおられるわけですが、
別宮先生は神!!
posted by 右野翼 滅罪 at 13:27 | Comment(0) | 【オススメ動画】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シナを支援しとったんはやっぱドイツよ!!ヒトラーなんよ。

posted by 右野翼 滅罪 at 12:59 | Comment(0) | 【オススメ動画】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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