【真珠湾への道】四

第二節 日華事変勃発

軍閥内戦を勝ち抜き中国大陸の大半を掌握したのは蒋介石率いる中国国民党政府だった。

蒋介石は日本に対する軍事攻撃を計画し、

ドイツからファルケンハウゼンら軍事顧問を招き戦争準備を進めた。

この計画は中国国内の日本軍民に攻撃を加え、誘い出された日本軍を殲滅するというものである。

4年前の満州事変とは異なり日華事変とは明白な中国による侵略戦争であった。

1937年(昭和12年)7月7日 北京郊外の盧溝橋において北支に駐屯していた日本軍と現地軍閥との軍事衝突、

いわゆる盧溝橋事件が発生した。
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現地に駐留する日本軍は3千名程度で孤立することを恐れた近衛文麿内閣は11日、

天津に2個師団の増派を決定した。

7月25日には郎坊駅事件、

26日には広安門事件と現地日本軍が攻撃を受ける事態が発生し、

盧溝橋でも再び戦闘が再発した。

そして最大の衝撃を与えたのが29日発生した通州事件だった。
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日本人居留民を保護していた冀東防共自治政府保安隊の一部隊が寝返り264名の日本人居留民が虐殺されたのだ。

国際都市上海には不安定な治安情勢から自国民を守るため欧米各国軍が駐留しており、

日本も海軍陸戦隊を駐屯させていた。

1937年(昭和12年)8月13日蒋介石の指示のもと海軍陸戦隊本部に

70万余りの中国軍による本各的な攻撃が開始され、日中の全面戦争、日華事変(日中戦争)が開始された。

日本政府は上海に駐留軍増派を決定し、上海で日中両軍の一大決戦が繰り広げられた。

中国軍はドイツ軍事顧問の指導のもとドイツ製火器と塹壕で構築された「ゼークトライン」に苦しめられたが10月28日には要衝、大場鎮を陥落させる。

11月5日に日本軍が杭州湾に上陸すると中国軍は全面壊走に落ち入った。


 日本軍は上海から首都南京へと壊走する中国軍を猛追した。

11月20日国民党政府は首都を重慶に移し、

12月13日には日本軍が首都南京を攻略した。
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上海決戦は25万の日本軍が70万近い中国軍を撃破した圧倒的勝利となった。


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posted by 右野翼 滅罪 at 23:00 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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