【真珠湾への道】十三

第四章情勢の変動


第一節 松岡構想崩壊



また40年10月に入るとこれまで進められていた桐工作が意外な事から頓挫する。

宋子良はホテルの宿泊代に事欠き日本側代表に宿泊費を無心したのである。
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日本側は政府全権たるものがホテル代を確保できないはずがないと思い偽者と判断。

それ以後、交渉は続けられることはなかった。日華事変終結の道は再び遠のく。


桐工作を進めた陸軍の沢田茂らは汪兆銘の南京政府承認を遅らせていた。

重慶政府と交渉し、蒋介石と汪兆銘の合流政権を実現させ、

和平交渉を進めようとの考えからであった。

松岡も同様の考えであり重慶政府と交渉を続けようとする。

だがそもそも事変終結に対する国内意見は不統一だった、

桐工作とて国内の一部局である参謀本部の私的工作であり統一見解ではない。

停戦交渉は遅々として進まなかった。


だがいつまでも成立させた汪兆銘政権を承認しない訳にもゆかず

11月13 日の御前会議で「支那事変処理要綱」が承認され、

11月末までに汪兆銘政府を承認することが決定され、

11月30 日に日華基本条約が締結される。汪・蒋合流という松岡の基本構想は頓挫した。


一方参謀本部の幕僚たちは新たな基礎の元に再び南進プログラムを考え始めた。

これを推し進めたのが10月に着任した田中新一作戦部長だった。

作戦部幕僚たちは再び南進によって日華事変を解決しようと画策し始めた。


だがこの案は海軍の反対で南方問題は別の手段で解決することが御前会議で確認される。


この時海軍には大きな動きがあった。

山本五十六連合艦隊司令長官の主張により、海軍内は米英不可分論で一致していた。


11月 26日と28 日に行われた海軍図上演習で伏見宮軍令部総長に次のように進言した。



1、米国の戦備が遅れ、英国がドイツとの戦いで不利にならない限り、

  オランダ領東インドに武力攻撃を加えればアメリカの介入は必死である。


 2、英米は一体であり、こうした南方作戦を行えば対英米蘭数ヶ国を相手とすることとなる。

   覚悟と充分なる戦備を持たなければ南方作戦に着手するべきではない。


3、それでもなお開戦が止むを得ないならば、最初に対米戦を実行すべきである。

4、開戦当初にフィリピンを攻略し、蘭印での作戦は資源獲得を目的として実施すべきである。

5、石油交渉が不調なのは蘭印のバックには英米がいる。そうでなければ蘭印はこちらの要求に応じている筈だ。

6、故に蘭印との開戦が止む無ない情勢になれば情勢と米英蘭数ヶ国作戦となるのは当然である。



これに対し、伏見宮軍令部総長、及川海軍大臣も同意し、海軍内部は山本司令長官の不可分論に統一されたのである。

11月から山本五十六がひそかに検討を重ねてきたハワイ作戦を正式な計画とすることに踏み切った

12月頃には真珠湾作戦も次第に形を整え、錦江湾を真珠湾にみたてた航空訓練が開始された

41年1月、陸軍参謀本部作戦部では「大東亜長期戦争指導計画」が作成される。その内容は以下のようなものであった。



1、ドイツが英本土上陸作戦を開始すれば南進を開始する。

2、ソ連に対しては静謐を保持し、対ソ国防を充実させる。

3、日華事変に対しては現体制を維持し、今後の国際情勢の変化を利用して解決を図る。



この案は時局処理要綱から大きな変化はなく、

作戦部では尚もドイツの英本土上陸への期待が強くあったことが伺える。

またこの段階でも「英米可分」であるとしてなお敵は英国のみに限定されていた。

だが一方で海軍は着々と英米一体論に基づくハワイ作戦策定していた。

1月末には大西滝治郎少将に命じ、ハワイ作戦の基礎的研究を行い始めていた。
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またこのとき陸軍作戦幕僚たちは日華事変解決の仲介を第三国に依頼しようと考えた。



その対象はアメリカであった。

1941年(昭和 16年)4月13 日には松岡構想の骨子となる日ソ中立条約が調印される。

しかしそれの実態は四国協商などではなかった。

この中立条約はドイツの仲介によるものではなく、

すでにヒトラーはソビエト侵攻作戦「バルバロッサ作戦」を準備していた。

ヒトラーは国益によって同盟相手を次々と変える人物だった、


ヒトラーは国際条約を守るという精神はブルジョワ的であり旧態依然としたものだという発想を持っていた。

第二次大戦の最初に侵攻したポーランドとも一時は不可侵条約を締結していた。

日独防共協定を締結しながら共産主義の総本山たるソ連と中立条約を締結し、

ポーランドに侵攻。

フランス戦終了後にはすでに対ソ侵攻の準備を指示している。

このような相手と日英同盟のような長期的同盟締結を期待した時点で松岡は誤っていた。


≪次の記事 14.日蘭交渉≫


posted by 右野翼 滅罪 at 23:00 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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