【真珠湾への道】十七

第三節 独ソ戦と海軍

独ソ戦に影響を受けたのは陸軍だけではなかった。

独ソ戦近しとの報がもたらされると 6月10 日、

海軍の推進で「南方施策促進に関する件」という新南方施策案が陸海軍内で成立する。

内容は南部仏印進駐への準備を行い仏印が要求に応じない場合には進駐を開始するというものであった。

しかし連絡会議では松岡外相が英国を刺激するとして反対したが 6月22 日に大本営政府連絡会議で決定となる。

 独ソ戦が開始されると海軍は永野修身海軍軍令部長を筆頭にさらに南部仏印進駐を推し進める。

これによって仏印に軍事基地を設置し、


6月6 日に決裂した蘭印交渉に対する圧力となりうると考えていた。

またこの背景には独ソ戦で英米は衝突を回避するだろうという判断があった。

部内では陸軍を中心とする北進論と海軍を中心とする南進論が激しく対立することとなる。

6月22 日に大本営政府連絡会議で仏印に対し進駐を要求することが決定され、

28日の山下連絡は海軍の反対で結論が出ぬままとなり南進派が優勢となった。

そして真珠湾作戦も動いていた。


6月下旬から連合艦隊司令部は、

ハワイ作戦を中央の作戦計画のなかに採用するよう、

難色を示す軍令部に要望し続けていた。



だが松岡外相や田中新一作戦部長を始め北進論も根強くあった。

田中は北方作戦をなおも諦めず東条に「関特演」実施を強く要求し、7月1 日に了承された。

こうして北方作戦に向けて兵力動員が開始され、内地から満州へ続々と将兵が輸送されることとなる。

独ソ戦という事態にどのように対処するかを決定するため、

7月7日の御前会議で「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」が定められた。



 ここでは「自存自衛の基礎を確立する為、南方進出の歩を進め、

尚情勢の推移に応じ北方問題を解決す。」(注 7)とされ両論併記の内容となった。



以下は内容の要旨である。

1.独ソ戦となっても南部仏印進駐を実行する。

2.対英米戦の準備を整え、南方進出の態勢を強化する。

3.北方に対しては準備を整え独ソ戦の推移が有利な状況に進展すれば北方に武力行使

を行う。


この2に関連して「対英米戦争を辞せず」という文言が付け加えられた。

これは「英米不可分論」に基づくもので海軍の発案である。

 すでに東条英機陸相やその影響下にある作戦課の服部卓四郎や辻正信、

佐藤軍務課長をはじめとする軍務課課員ら陸軍の一部は南進論賛成に転じていた。

彼らは海軍の作戦案を聞き、北進論よりも成功率が高く死傷者も少なくすむと考えたのだ。

また田中ら作戦部はドイツの早期勝利を予測し、

直ちにソ連を攻撃して北方問題を解決することを考えたが軍務局はドイツの早期勝利を疑っていた。


陸軍の一部と海軍は 7月7日の「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」に北進論を抑えるための文言を盛り込み、

北進論を抑えるため奔走した。

佐藤軍務課長ら軍務課課員はドイツはソ連を打倒し、

英本土上陸作戦を行うであろうから仏印だけでなく蘭印攻撃も始めるべきだと叫んだ。

そこでこの要綱には南部仏印進駐だけでなく、さらなる南方進出を行う文言も盛り込まれた。

だが軍務課では当面、南部仏印進駐を限度とするべきだと主張し海軍も同意する。

彼らは国際情勢が緊迫した際、南方作戦を行うための布石であり、

蘭印はともかく南部仏印進駐だけならば問題になるまいと考えていた。

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posted by 右野翼 滅罪 at 23:00 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

陽明学は地位、金、名声を否定していない。

身を修めるということは何処までもストイックな道である事に間違いはないが、学問において金、地位、名声を全く無視しているわけではない。

とらわれない!と言う事に尽きるのだろうと思う。

実力に応じて与えられるモノであるという捉え方である。


金を求めるのではなくて、この人がお金を得たらどれだけ世の中の為になるだろう、こんな人がお金を持つべきだ、という人間になれ!という事だ。


地位は求めるモノではない、この人が上に立ってくれれば、と願われるような人間になれ!

名声は求めるモノではない、
こんな人こそ、世の中の人間みんなが知っておくべきだと、そう思われる人間になれ!


その時自ずと、扉が開くのだろう。
posted by 右野翼 滅罪 at 22:41 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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