【真珠湾への道】二十

第二節 東条内閣
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1941年(昭和 16年)10 月17日、東條英機に組閣命令が下る。

この時昭和天皇から9月6 日帝国国策要領の決定を白紙に戻すようにという「白紙還元の御諚」が言い渡された。

18日東条内閣が成立した。

海相は海軍が推薦する豊田副武を蹴って島田繁太郎大将。

外相兼拓相は、東郷茂徳。蔵相は賀屋興宣。企画院総裁は鈴木貞一の留任。

これまで東条首相は従来の主張であった即時開戦を翻し、

9月6 日の御前会議の決定を覆しそうと奔走する。


陸軍省・参謀本部の主戦論を抑えるために陸相を兼務し、

さらにクーデターに備えて、内相までも兼務する事となる。



こうして10 月23日から 30日まで国策再検討のための会議が始まります。

これまで主戦論を唱えてきた武藤軍務局長以下の軍務局は路線転換を迫られるが、

田中新一作戦部長を中心とする参謀本部は主戦論に固執する。


10月中旬には陸海軍の作戦分担「南方作戦陸海軍中央協定」が成立し、

開戦劈頭に米英蘭勢力を駆逐して制海権・制空権を握り、南方資源を略取する作戦の最終調整が行われた。

海軍 10月初旬の図上演習の結果、開戦日を 12月初旬と変更しており、

交渉の期限は外交交渉の期限は 11月初旬となっていた。


11月1日の東条内閣連絡会議は、午前9時から深夜に及ぶ激論が続き、

2日の内閣連絡会議では「11月末日まで対米交渉と作戦準備を進める」と決定。


東郷外相は、日米交渉の条件とする『甲案』と『乙案』を提議した。


甲案は、9月29日提出の日本側提案を整理したもので

1、ハル4原則の通商無差別問題は、全世界に適用されるという条件で承認する

2、三国同盟の解釈履行問題は、いわゆる独自解釈に基づく

3、支那撤兵問題は、華北・蒙彊の一定地域と海南島は25年駐屯


それ以外は2年以内に撤退、仏印からはただちに撤退とされていた。

一方乙案は、譲歩案であり、米による資産凍結前=南部仏印進駐前の状態に復帰しようというものだった。

 
1、日米両国は、仏印以外のアジア・太平洋に武力進出を行わず

2、日米両国は、蘭印の物資獲得について協力する

3、日米両国は、通商関係を資産凍結前に戻す

4、日本は南部仏印から撤兵する



11月5日の御前会議で

『帝国国策遂行要領』は原案どおり採決され、海軍軍令部は山本連合艦隊司令長官に対し、

開戦準備の統帥命令を伝達、作戦前の待機拠点に各部隊を展開するように指示した。


11月21日 聯合艦隊は軍令作第5号で「第2開戦準備」を下令

 日米交渉は甲案ついで乙案によって進められたが、米国の態度は強硬であった。

打開をはかるべく大使辞任を申し出ていた野村大使の補佐として来栖三郎特使の派遣を決定、

当時としては異例の空路によって 11月15 日ワシントンに到着した。


11月 26日、野村・来栖両大使はアメリカ側から強硬案ハル・ノートを受領した。
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この時、択捉島の単冠湾に集結していた機動部隊は密かに出撃した。

すでにこの時関特演で動員された部隊が続々と満州から南方へと向かい、

連合艦隊はすでに真珠湾攻撃に向けて出向を開始していた。


真珠湾攻撃計画は独り歩きし、

11月を過ぎた時点で数十万の兵が動いておりもはや誰にもその移動を止めることができなかった。

ハルノートは強行な内容であるが交渉の過程に過ぎないと前文に明記されていた。

だが東郷重徳外相は陸海軍を止めることが出来ないと判断し

前文を削除して昭和天皇にアメリカから最後通告が送られてきたと嘘の上奏をした。



12月1日には艦船・部隊に対する無線呼出符号を変更し、

機動部隊は出港後厳重な無線封鎖が実施された。

また九州方面の基地航空部隊や艦隊による偽交信によって、

艦隊所在地を偽装し、作戦意図を悟られぬようにした。


 そして12月8 日、機動部隊はハワイの米艦隊に奇襲攻撃を加え、

陸軍はマレー半島に上陸した。


日華事変の脱却しようと陸軍が対英戦を唱え、海軍の提案で米蘭にまで攻撃を加える事態になった。

軍事作戦が重要視される余り、日本はいつしか世界を敵する戦争に突入したのである。

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脚注

注1(「幕僚たちの太平洋戦争」波多野澄雄  34ページ10 〜11行目)
注2(「幕僚たちの太平洋戦争」波多野澄雄 37 P 2 〜4行目)
注3(「真珠湾燃える」秦郁彦編  P49 2〜3行目)
注4(「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯 4」 P46 )
注5(「戦史叢書 大東亜戦争開戦経緯 4」P51 )
注6(「真珠湾燃える」秦郁彦編  P55 2〜3行目)
注7(「真珠湾燃える」秦郁彦編  P59 6〜7行目)
注8(「真珠湾燃える」秦郁彦編  P61 10 〜12行目)

参考文献
「幕僚たちの太平洋戦争」波多野澄雄 朝日選書
「真珠湾燃える」秦郁彦編 
「第一次世界大戦」 http://ww1.m78.com/
「真珠湾燃える 上」秦幾彦編 現書房
「大東亜戦争の真相」 赤堀篤良 星運社
「ノモンハンの夏」 半藤 一利 文春文庫
「あの戦争は何だったのか」保阪 正康 新潮新書
「技術戦から見る第二次世界大戦」 別宮暖朗  PHP研究所


posted by 右野翼 滅罪 at 23:00 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

死の美学あれば、あえて生きる美学あり!

七つの習慣から

『人間だけのツール、意志の力』
ダーメル=リードは家族の危機を自分の意志で乗り越え、
人生がすっかり変わったと話してくれました。

ダーメルはオークランド東部でも一番荒っぽい地区で育ちました。
ダーメルは七人兄弟の四番目リード毛には高校を卒業したものは誰もいませんでした。

ダーメルも卒業出来そうになく、自分の商大が不安でした。

生活も苦しく、通りにはチンピラやドラッグの売人がうようよしています。

そこから抜け出す事が出来るのでしょうか??

ダーメルが高校三年になる前の静かな夏のある夜、家の外でダダダッ銃声が響きました。

「銃声が聞こえるのは日常茶飯事だし、別に気にもとめなかった」
とダーメル。

ところが突然、彼の友人の一人が足を打たれてドアから
飛び込んで来たのです。

そして、だーメルの弟ケビンが車から打たれて殺されたと叫び出しました。

「僕はもうショックで、かーっとなり、同時に傷ついた。かけがえのない存在を失い、二度と会えなくなったんだ。弟はまだたったの十三歳だった。それがつまらない喧嘩でうちころされた。その後生活がどう変わったかあ、うまく言えないけど、家族全体がまっすぐどん底に落ちて行くようだった」
ダーメルはそう語りました。
ダーメルは当然のように、犯人を殺そう、と思いました。

彼もすさんだ環境で育っていたし、殺された弟復習をするにはそれしか方法が無かったのです。
警察はまだ犯人を探している最中でしたが、ダーメルには目星がついていました、ケビンが亡くなって数週間の蒸し暑い八月の夜、ダーメルは三十八口径のリボルバーを手に入れて表に出ました。

ドラッグの一種であるクラックの売人、トニー=”ファットトーン”=デイビスに復習する為に。

「あたりは暗くて、デイビスとやつとの仲間にこっちの姿は見えなかった。あいつは座ってたのしそうにはなしたり笑ったりしていた。
僕は十五メートルと離れていないところで、装填した銃を手に車の後ろにうずくまっている。

この小さな引き金を引けば、弟を殺したやつを殺せる、と」

重大な決断の瞬間。

その時ダーメルは一時停止ボタンを押して自分を取り戻しました。
彼は『想像力』を用いて、自分の過去と未来を思い浮かべたのです。

「ほんの2、3秒の間、自分の人生の事を考えた。
どのみちを選ぶか、はかりにかけた。
捕まらずに逃げられるかどうか、警察にばれないかどうかも。弟がぼくのフットボールの試合を見に来た時の事も思い出した。
お兄ちゃんならプロのフットボール選手になれるって言うのが、弟の」口癖だったんだ。
ぼくの将来の事を、大学に行く事も考えた。
自分の人生をどうしたいかも」

ダーメルは立ち止まり、良心の声を聞いたのです。

「僕は銃を手に持っている。体が震えている。ぼくの中の良心が語りかけて来たような気がした。立ち上がってこのまま家に帰り、学校に行けと。
復習すれば、将来が台無しになる、弟を撃ったやつと変わらなくなる。」

まさに意志の力を用いてダーメルは怒りに流されて人生を投げ打つ代わりにその場を離れ家に戻りました。
亡くなった弟の為にも大学を卒業すると心に誓って。

そこから9ヶ月後、リードは優等生の名簿に乗って高校を卒業しました。
誰もがしんじられなかったことです。
その五年後には、リードは大学のフットボールチームのスターになり、学士号も取りました。

ダーメルのように、私たちは誰もがしんじられなかった、一度か二度はとてつもなく大きな壁にぶつかります。

その壁に立ち向かうかつぶされるか、選ぶのはあなた自身です。


死ぬ事ばかりが武士道ではないのではなかろうか。

生き生きと生きる事によって仇をうったのかもしれない。
posted by 右野翼 滅罪 at 17:16 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

保導連盟事件でも

posted by 右野翼 滅罪 at 08:36 | Comment(0) | 【オススメ動画】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

職業に貴賎なし

安岡正篤先生のお言葉を



世のため人のために
役立つ意義・効果の偉大なるものほど、
それは貴い職業であって、
若(も)しそういう意味に於(お)ける内容が
何もないとすれば、
如何(いか)に生活が豊かに出来ても、
これは賤(いや)しい職業と
言わねばならんのであります。

と同時にそれに従事するのは
人間であります。
如何に貴い職業でも
人によって賤しくなる。
たとえ賤しい職業でも、
人によっていくらでも貴くすることが出来る。
従って貴賤は職業にあるのみならず、
それは又人間にもあるということであります。

以上

貴賎は職業になし

人の心にあり
posted by 右野翼 滅罪 at 07:47 | Comment(2) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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