陰謀だもの


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浮世の儚さである


posted by 右野翼 滅罪 at 15:06 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海軍暗号解読論

f.真珠湾攻撃以前に米軍は日本海軍の暗号を解読できていたなかったという点

質問内容

ロバート・B・スティネットは著書「真珠湾の真実」の中で、米海軍は1940年秋までに日本海軍のD暗号を含む複数の暗号システムを解読していたと主張しています。
この説を完全に否定し、D暗号は解読されていなかったと断言することは可能なのでしょうか。

滅罪先生的見解

スティネットの「欺瞞の日」(邦訳「真珠湾の真実」)は歴史家の間では批判が強く、例えば米暗号専門誌「クリプトロジア」の発行人デービット・カーンには「始めから終わりまで間違いだらけ」と酷評される有様です。

 「欺瞞の日」の要旨は「南雲艦隊は無線封止命令が出ていたが実際にはそれは破られていた。

結果、機動部隊はガラガラヘビのごとくの無線を発信しながら進んでおり、これらの暗号は解読されていた」というものです。 

 すでにスティネットの論については「検証・真珠湾の謎と真実 ルーズベルトは知っていたか」(秦郁彦編 PHP研究所)においてすでに決着がついたと思います。
 
 重要な点をいくつか列挙しますと
 
 ●129通の電文を受信したといっているがほとんど電文の例示がない。
 ●無線封止は破られていたと主張しているが例示されている電文には機動部隊が発信者・または受信者になっているものがなく、またヒトカップ湾出撃以降の電文が登場しない。
 ●戦後に解読されたものを戦中に解読されたように記述している。
 ●「暗号傍受」を「解読」と取り違えている。

 これはあらゆる陰謀論や歴史修正主義者(リビジョナリスト)に共通するレトリックで資料の曲解や誤認、時系列の無視・取り違えなどです。
 また伝言ゲームのような誤解も生まれます。アメリカは外務省の暗号は解読されていたしていましたがそれが陸海軍の暗号まで解読していたとなり、ルーズベルトはすべてを知っていたという話となりネット上でも溢れています。
 ルーズベルト陰謀論や9・11陰謀論の弱い点はこれが暴露されれば、紛れもない国家反逆罪でありルーズベルトもブッシュジュニアも電気椅子が待っているという点です。
 こうした陰謀論を実際に行ったとすれば通常のパトロールを行っている将兵の報告を握りつぶしたり、圧力をかけたりと大忙しとなります。在命中までそうした関係者全員の口を塞いで置くことなど出来るわけがありません。
 現に張作霖爆殺事件や満州事変は発生当初から日本軍の犯行だと見なされ、関係者が在命中に真相が明らかになりました。
 田母神閣下や中西輝政先生、櫻井よしこ女史もスティネットを絶賛しております。お三方とも尊敬していますが(一応今年まで田母神後援会会員)、やはり話題本に飛びついてしまった感は否めないと思います。  
posted by 右野翼 滅罪 at 13:49 | Comment(6) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フライングタイガース論

e.フライング・タイガースは義勇兵という点

質問内容

『フライング・タイガースは義勇兵という点
1945年参謀総長マーシャル大将は「アメリカ軍人が、日米開戦の前、すでにフライング・タイガー社員に偽装して中国に行き、戦闘行動に従事していたこと」を認めたそうです。
また、1991年米国防総省はフライング・タイガース259名が正規兵であったことを認めたそうです。
同軍司令官クレア・シェンノートが考案した日本爆撃計画「J.B.No.355」はルーズベルト大統領が承認し、この計画に基づきB-17が中国へ供与されました。
大統領の署名日付は1941年7月23日です。

表面上は傭兵部隊の体裁を整えていたとしても、本質的には米政府の意思から切り離された存在とは言えないのではないでしょうか。』

[滅罪先生的見解]
 
 飛虎隊(フライングタイガース)の初陣は昭和16(AD1941)12月20日の昆明迎激戦で99式双軽3機を撃墜したことに始まります。

 真珠湾攻撃と陸軍の南方作戦計画の発動に打ちひしがれていた米国民にとり、義勇兵パイロットとはいえアメリカ人が行った初のカウンターであり、伝説的存在となりました。

 彼らは制服も階級もなくカウボーイハットとショートパンツに2丁拳銃を引っさげ、乗機のカーチスP−40には赤口の鮫と青天白日のマークをあしらってました。

 ある意味で話題に事欠かない存在で、‌トムクルーズ主演で映画化の話まであります(個人的にはすごく見たい)。

ただそのために史実とは異なった話が一人歩きしているのも事実です。

 「中国的天空」(大日本絵画)の作者、中山雅洋氏によればアメリカ国内で客観的に日米の撃墜記録を照らし合わせた資料は皆無だったそうです。

 日本でも保守系メディアを中心に飛虎隊の存在がクローズアップされています。

米国の軍人が大東亜戦争前に日本軍と交戦していれば真珠湾攻撃の汚名を軽減、もしくはアメリカへの反撃であるという逆襲に転じることができるという願望からだと思われます。

 資料も少なくネット上でもフライングタイガースはアメリカ軍が極秘派遣した不正規戦闘部隊であったかのような言説が溢れています。

 そのためこの問題については資料選びに慎重であるべきだと思います。

マーシャル大将の証言はジョン・トーランドの著作にありますがトーランドは作家であり歴史事実について誤りも多く注意が必要かと思います。

 私も歴史学者ではありませんので原典にはあたれませんが、先にあげた「中国的天空」と「第2次大戦 世界の戦闘機隊」(秦郁彦 酣燈社)を参考にしました。 
 まず注意が必要なのは国府軍は様々な国から武器を購入しており、また時期によって支援国も異なるということです。

 支那事変開戦当初は機体の主力はホークV米国製航空機でした、しかし中国空軍の最大根拠地は南昌にあった航空機製造・修理工場や訓練学校はイタリア人によって設立されたものでした。
 そして陸軍はドイツ製装備と占められ、作戦立案もドイツ軍事顧問団によって行われていました。

つまりアメリカだけが中国を支援していたわけではありません。

 そして支那事変勃発以前から米国人軍事顧問はいましたが彼らは実戦に参加することは厳重に禁止されており、参加した場合軍人恩給打ち切りを通告されていました。

 1932年の第1次上海事変では,ボーイング218型に搭乗したロバート・M・ショートが日本海軍の生田乃木次大尉と空戦、撃墜されていますが彼は高給目当ての傭兵です。こうした傭兵パイロットはルーズベルトが大統領に就任する以前から存在していました。

 そして有名なクレア・シェンノート(陳納徳)も米陸軍航空隊ではみ出しものとなり、気管支炎と難聴で入院していたところを月給1000ドル(現邦貨換算で約1200万円)でスカウト、昭和12年の5月に中国に渡りました。

 つまり当時、中国軍にいたのはアメリカ人は傭兵と軍事顧問だけで極秘部隊が派遣された形跡はありません。

また軍事顧問の派遣ならば帝国陸軍も張作霖・閻錫山・孫伝芳・袁世凱・段祺瑞に軍事顧問を派遣していました、つまり傭兵はもちろん実戦に参加していない軍事顧問の派遣程度では真珠湾攻撃が許される様な敵対行為とはなりません。

 ただ米国製装備の中国空軍は開戦まもなく壊滅し、12月には南京上空でソ連軍パイロットが駆るI−16戦闘機が海軍航空隊の眼前に出現しました。

 これは昭和12年8月の中ソ不可侵条約後に派遣されたソ連空軍志願隊でした。

支那事変空戦の第二段階ではこうしたソ連軍パイロットによるI−16が主敵となりました。

 彼らは義勇兵とは名ばかりで実際には「Z作戦」と命名されたソ連軍の命令に基づいて派遣され実戦にも公然と参加、合計で1250機が派遣されました。

 問題にすべきはこちらのほうでしょう。

現に外務省はドイツ・ソ連には再三抗議していますがアメリカには抗議していません。 

 このソ連空軍志願隊さえも次第に陸海軍航空隊に撃破され、またノモンハン・冬戦争・赤軍大粛清とソ連も余裕がなくなり昭和14年(AD1939)末頃になると支援も減少してゆきました。

 重慶爆撃が始まるともはや蒋介石の頼みの綱はシェンノートを頼りに米国人義勇航空隊を組織

しつつ、米国に支援を要請する事のみとなります。
 昭和15年(AD1940)秋に帰国して要員の募集と機体の調達当たりましたが米国の反応は極めて冷淡でした。 

 すでに前年に第2次大戦が勃発しており、アメリカ国民の最大の関心はバトルオブブリテン最中のイギリスであり、それ以外ではフィンランドで中国にはありませんでした。

米国民の中国観は重慶爆撃に対する「同情」を超えるものでありませんでした。

 すでに戦闘機はおろか練習機や沿岸哨戒機に至るまで英連邦に買い取られており英国からキャンセルされたカーチスP−40を100機なんとか手にすることが出来た程度です。

 ちなみ英国向けと偽装して戦闘機が中国に極秘派遣されたかのような話もありますが事実はカーチス社が英国に評価されずキャンセルされた事実を隠し「早くしないと英国に買われる」と中国側をけしかけたというのが真相です。 
 
 パイロットの募集も難航しました。冒険飛行士達はフィンランドやイギリスに向かっており、「中国のために日本と戦おうというパイロットは1人もいない」(宋子文)という有様でした。
 さらに追い討ちをかけたのがシェンノートがもとより米軍内で嫌われており、スカウトを始めてもアジアに航空隊を派遣しないと政府に声明を出された上、陸海軍航空隊では参加禁止命令を出されました。

 ただ一機撃墜ごとに500ドルのボーナスを唯一の武器に、戦闘機パイロットだけでなく艦爆・艦攻・テストパイロット・練習航空隊教官片端から声を掛けどうにか110名のパイロットと200名の地上要員を確保しました。

本職の戦闘機パイロットは110名中わずか17名です。
 
ところが英空軍が提供するビルマ・トングーの基地に到着するや蚊と沼地の劣悪な環境に襲わ
れます、米国政府からの被服や食料の補充などありません。

 これに嫌気をさしパイロット40名を含む136名が脱落しましたが、この敵前逃亡には軍法会議にもかけられず、これに対する欠員の補充ももちろんありません。
 こうした困難を乗り越えひたすらシェンノート独特の2機単位による一撃離脱戦法の訓練に励み真珠湾攻撃後、昭和16年(AD1941)12月20日初陣を迎えます。
 これがAVG(American Volunteer Group)、フライングタイガースの実態です。

 つまり小林よしのり氏の「戦争論3」やネットに溢れる「大東亜戦争以前に精鋭パイロットが極秘派遣された」というのは時系列を無視し、いくつかの事実を取り違えた事実誤認であることがお分かりかと思います。

 大東亜戦争開戦後に飛虎隊は米空軍に編入されますが、ほとんどの隊員がこれを良しとせず(基地司令を上回る高給がなくなり逆に対地攻撃などの契約にない任務に参加させられる)、離隊者が続出しました。

 さらにスチルウェル中将ら開戦後に派遣された正規軍人たちも高給取りにも関わらず階級もユニフォームもなく米軍にはない慰安所を持つ彼らを心よく思わず、正規軍との折り合いも悪かっため昭和17年7月2日をもって解散しました。
これをみても政府の関与はないことは明らかです。
(行動はモニターしていましたが)

 また最近は保守論壇でアメリカが中国に爆撃機を供与し日本本土爆撃を企図していたとまことしやかに唱えている方がいます。
 まずフライングタイガースに爆撃させようとしていたという人がいますがこれは明らかな曲解です。
前述したようにシェンノートはトングー基地でカーチスP−40による一撃離脱戦法をひたすら訓練させており爆撃機については訓練はおろかトングーに配備されておりません。

つまり飛虎隊と爆撃機中国供与を混同しています。

 ただ蒋介石は米国に重爆供与を何度も希望し、ルーズベルトは相手にしませんでしたが仏印進駐以降前向きに検討したのは事実です。

 それが昭和16年(AD1941)年7月23日にルーズベルトが署名したといわれる日本爆撃計「JB355」です。

これをもって開戦前にアメリカは日本を焦土化しようとしていたとセンセーショナルに取り上げられますが
 これが実際にどの程度実行するつもりだったのかは疑わしく、実際には爆撃機は英国が優先され供与されませんでした。そもそもB-17百機で日本焦土化は言いすぎかと。
 また日本が敵対行為をしていないのにアメリカが日本爆撃を企図したかのように言われますがこの年の7月には南部仏印進駐が裁可され日本軍が仏印に大挙して押し寄せていた時期でした。
 これは中立地帯への武力進駐で現在に当てはめれば中共軍が台湾や韓国に進駐するのと同じ事で日米が軍事行動をとってもやむを得ない事態です。
 実際には石油禁輸が行われましたがこれすらまだセーブした処置です。「JB355」が実行されたとしても年内の実行は土台無理で緊張状態における一つのプランに過ぎないのではないでしょうか。
posted by 右野翼 滅罪 at 17:11 | Comment(8) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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