批判する側、外野、傍観者、観客VS創造者、演者、主催者



下は私の私淑する先生のお言葉である

………………………

政治の仕事と言うのは、私自身の経験からしても、とかく妥協の連続である。
それば現実社会における様々な矛盾や葛藤が、最終的な解決を求めて集まってくる場所が政治だからである。
それだけに、それら矛盾や葛藤に対して、政治家は落とし所を作りあげて行かねばならず、ある一つの主張に固執しているばかりでは、社会が必要とする解決を導き出す事が出来ない。
つまり、自らの主張は主張として重視しつつも、現実的対応としては、つねにその修正を余儀無くされるのである。

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この文章程、政治家の主張を貫く事の難しさを的確にあらわした文章を私は知らない。

いつも私は思う、外野は安易だ。

何も知らない、と言うかやらない人間は安易だ、

私はその飲み屋の愚痴程度の事を政治批判の顔をして語る輩の心を何よりも軽蔑するのだ。

本当に的確な批判と言うものを私は知らない、
三島先生の政治批判は私は.これこそが批判と感銘を受けたが、それも現実的な政策と言うよりは、その政策に宿る魂の批評だったように思う。
が故に趣が違う。

上の引用した言葉は実に吟味していただきたい。

それは政治を語るな!と言う事でも無く、

両論併記や折衷案でお茶を濁す様な事をするのが政治なのだと認識せよ!!

と言う事でもない。

ただ政治は、単純にびびったとか、金に目がくらんだとか、知識不足とか、信条がないとか、そんなレベルの話ではないのだ。

政治は問題ばかり、しかも民間や当人同士、今の枠組みではどうにもならず、あとは政治的判断に身を委ねられる!

といったような、他では答えや決断が出せなかった問題が多い。

しかも、影響力は直接的だし、民主主義つまり国民などという茫漠でよくわからないものが主権を握っている。

混迷しないわけがない!!

もう一度言う!!

はなっから、大前提として、
政治は、混迷しないわけは無いのである。

これを覚えておいていただきたい。

そして、批評するのはイイが、人は家族は愚か、仕事、自分の事でさえちゃんとした筋道を通して、当然の事を当然のごとく出来ないものである。

あなたは会社で、家族で、およそこうあるべきと言う、主張や筋道を実現させながら生きてるだろうか??

生活に翻弄されて、過ぎてみたらあれ??
何やってんだろ??

って言う人が大半では無いだろうか??

私が言いたいのは別に政治の混迷を黙ってみてろ!!
と言う事では無く!!

普段誰も聞いてくれない説教をブログと言う場にかこつけて、かましてみたくなったのだ、と言う事だ。

それを忘れぬ事である!!


右野


posted by 右野翼 滅罪 at 23:08 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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