中国進出組は今も昔も変わらず

 
 日本の企業は低賃金目当てに中国に進出していたのは、何も最近の話ではなく戦前も行われていた。
 現在の高校の日本史の教科書で出てくる「在華紡」などがそれでやはりこの時も低賃金を目当てに生産拠点を中国に移していた。

 そして中国人および中国政府の無法行為が発生することも現在と同様であった。そしてこの時も中国進出組みは無法を働く中国人に阿諛追従し、日本政府に外交政策の変更を求め、自分たちの利権の維持を図ろうとした。
 これは大正14年(1925年に)発生した。『5・30日事件』である。
 歴史家、別宮暖朗先生のサイト「第一次大戦」から引用しよう。
 (別宮暖朗先生のサイト第一次大戦は昨年末から見れない状態が続いていたがどうもこちらに移ったようである。ただ掲示板をはじめリンク切れが目立つこちらにも部分的に保存されている。)

 『5・30事件』

 
 別宮先生はこの事件を以下のように解説している。
  
 在華紡と呼ばれる上海の綿紡績工場に共産系オルグが浸透し、工場幹部へテロを加える事態が発生した。イギリス人が主導する租界警察は、暴徒に対して銃撃を加えた。それによる死者が出ると、反在華紡運動は反英運動に転換した。北京政府や国民党までが反英を叫び、広州では大暴動に発展した。それを好感した日本人在華紡経営者は、親中・反英に日本の外政は転換すべきと絶叫した。外国に低賃金目当てで工場をつくり、その商売繁栄で国政に介入しようとしたのである。

 低賃金を利用するには相応のリスクが生じることについて経営者としての覚悟がなかった。全員、中国政府・中国革命家に期待し英米を敵とみなそうとしていることは明らかである。現代日本と酷似していることに驚くべきであろう。

 日本のこのときの首相は加藤高明であり、日英強調の姿勢を崩さなかった。イギリス批判の急先鋒であった仏伊に従わなかった。日本外交の歴史では珍しく機会的ではなく対応した。この方針に反対したのは、むしろ在華紡であった。


 加藤高明は日英強調のもと、中国の無法に対抗した。
 だがその後、幣原外交など中国に阿諛追従する外交が展開された、陸軍支那通などは中国人と一緒になって租界回収を英米に突きつけた。
 そのような姿勢が排日運動を激化させその後の第三次南京事件、済南事件、満州事変、支那事変を引き起こした。
 そして中共政権の誕生と同時に在華紡も身包み剥がされて帰国する事態となった。中国に関われば低賃金などで短期的に利潤を得ることはあっても、重大なリスクを負うことに気づかねばならない。

 最近まで経団連や日経新聞は内閣総理大臣の靖国参拝や尖閣国有化に反対していた。自身の利益しか眼中になく、政府に政策変更を迫るなど浅ましいという他ない。ましてや戦没者慰霊施設をダシにするなど神をも恐れぬ所業であろう。

 チャイナリスクについては歴史に学ぶまでもなく、常に指摘されていたことであり、それでも生産拠点を移しているなら自己責任であろう。

 野田内閣時代に発生した反日デモが終結した際、幾つかの自動車メーカーで反日デモで日本車を破壊された中国人に対し、無償で代車を提供するとの方針を打ち出した。こうした行為がさらに中国人をつけあがらせているのである。
 
 中国進出企業は度重なる中国政府や官憲の無法な要求に遭遇すると次第に「ストックホルム症候群」に陥ってくる。
 つまり凶悪犯のご機嫌を伺い、阿諛追従し、自分だけが助かろうとするのである。しかしそのような態度がさらに彼らの理不尽な行動を誘発している。
 中国進出企業の体質、そしてその末路は今も昔もさして変化していないのである。
 
                                         滅罪
 


posted by 右野翼 滅罪 at 10:12 | Comment(1) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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