M3ベネリ試射と強化合宿!!上野ガンマニア



 上野ガンマニア氏がM3ベネリショットガンを試射しています。
 今後、東京に活動拠点を移すされるようです。





 動画編集のための強化合宿をされているようです、本格的ですね!!



 今後とも活躍を期待しています!!

                                   滅罪


posted by 右野翼 滅罪 at 10:59 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あたらしい憲法のはなし

 紛らわしいタイトルだが、今回採り上げるのは自民党の憲法改正草案
ではない。
 昭和22年(1947年)まだ我が国が進駐軍の占領下にあったころ、新憲法(現行憲法)について解説するため、全国の中学校に配布された1年生用社会科の教科書である。

 タイトルだけではわかりにくいが皆さんも社会科の教科書にも登場したはずである。これは同教科書のイラストだが見覚えのある方もおられるだろう。

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 戦後、六十余年を経てようやく自主憲法制定の機会が到来した。
 自主憲法制定が立党の精神であり、具体的な改憲草案を持つ自民が多数を占め、維新・みんなも意見は違えど改憲には賛意を示している。民主党にも根強い改憲派はおり、党内が割れる可能性は高い。
 公明党は反対だが、流石に9条の見直しには同意しており、現行の9条に自衛力保持を盛り込む「加憲」を唱えている。 
 もはや一字一句変えさせないという勢力は民主党の一部と社民と共産のみになった。しかも彼らは少数派だ

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 しかし侮るわけにはいかない。彼らにとって護憲は文字通り死活問題である。
 社会主義を絶賛したが、冷戦の崩壊と共に化けの皮が剥がれた。次に飛びついたのがいわゆる従軍慰安婦問題や南京大虐殺だったがインターネットの普及と共に彼らの嘘は白日のもとに晒された。そして原発問題に国民はさして関心がない・・・・・。

 中国や韓国に同情する国民も激減した。20年前、いや10年前でも日中友好という言葉は面と向かって否定できない絶大な力を持っていた。しかしもはや日中友好という言葉自体死語になり、ダーティもしくは胡散臭いイメージしかなくなった。

 左翼にとって憲法、特に9条は究極かつ最後のよりどころだ。彼らは死に物狂いで安部バッシング・国防軍潰しを開始するだろう。
 彼らを甘く見るのはまだ早すぎる。連日の常軌を逸したマスコミの安部叩きを見てもわかるとおり、彼らはメディアに浸透しているし全力を挙げて襲い掛かっている。

 安倍さんなら大丈夫!!ネットの保守も増えたし・・・・・というのは甘すぎる。あの脱原発デモの動輪力は軽く我々の尖閣デモを超えたのだ。マスコミに引きずり降ろされた第一次安部内閣を忘れてはならない。「9条の会」もすでに全国で活動を開始している。
 
 左翼は今後、「現行憲法は問題ない、改憲はキケン!!」というネガティブキャンペーンを展開するだろう。そこで当サイトとしても微力ではあるが、憲法問題わけても9条改正・国防軍創設の意義をわかりやすく解説してゆきたいと思う。

 さて前置きが随分長くなったが、憲法9条の問題をわかりやすく解説するためあたらしい憲法のはなしを抜粋する。なお全文はこちらである。

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 六 戰爭の放棄


 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。
 
 こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
 
 戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。
 「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。


 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。
 なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。


 そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。


 
 以上が現行憲法の9条部分について書かれたものである。
 憲法9条は1項の戦争放棄2項の戦力不保持・交戦権の否認からなっている。

日本国憲法第9条

(第1項)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(第2項)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  
 「あたらしい憲法のはなし」の赤字部分が2項を意味し、青字が1項を意味することは明らかである。
 

 「あたらしい憲法のはなし」は一見常識的な内容に見える。知識がない人が聞けばそれなりに頷けるかもしれない。
 
 確かに先の大戦では300万の日本国民の命が失われた・・・・。
 武力に訴えるのはよくない事であるから1項は正しい、軍縮にも見られるように率先して軍備をなくそうという姿勢そのものは正しく2項もあったほうがよいのではないかと・・・・・。

結論から言えば1項はさして問題ない、しかし2項に重大な問題があるのである。

 
 現在の国際法では国策として戦争を開始することや、武力による威嚇を行うことは禁止されている。これは言い換えればどのような理由あろうとも先制攻撃をしてはならないということである。

 パリ条約不戦条約(戦争ノ放棄ニ関スル条約、昭和4(1929)年)

 第1条
 締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えないこととし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。


 国連憲章 第2条4項

すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。


 憲法9条1項がパリ不戦条約に準拠したものであることは明らかであろう。左派が主張する戦争は違法化されているという主張は概ね正しく、一部保守がクラウゼヴィッツの戦争論を引用して「戦争は合法だ!!」と主張するのは完全に見当違いである。
 
 これだけみればあたらしい憲法のはなしで解説された憲法9条は全面的に正しいように見える。
 しかしこの憲法案を作成したマッカーサーやGHQ民政局が完全に見落としていることがある。

 それは当然の疑問、「突然理由なく侵略を受けた場合どうするか」である。国家は国策による戦争を禁じると共に自衛権が存在する。これは固有の権利であり、いかなる国家にも当然、認められるものである。

 国連憲章 第51条〔自衛権〕

 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。



 そして憲法9条1項は自衛権の発動まで禁じたものではない。
 マッカーサーは当初日本の自衛権の制限まで否定ようとし、原案であるマッカーサーノートでは「紛争解決の手段としてのみならず、自己の安全を保持する手段としてさえも戦争を放棄する。」と記されていた。
 しかし自衛権の否定に関してはさすがにGHQからも非現実的であると批判が続出し、民政局次長ケーディスはマッカーサーノートの後段を削除させた。
 この経緯からも第1項は自衛権まで制限するものではないことは明白である。

 理由なく突然外国軍隊が攻め込めば、当然日本は自衛権を発動せねばならない。しかし2項の戦力不保持があればそれを実行することすらままならない。
 「あたらしい憲法のはなし」はそうした日本が攻める事態だけに言及し、他国から攻撃を受けることを一切考慮していないのである。
 日本国憲法は戦争放棄と戦力不保持を謳っているが、前者はあっても後者のような文言を挿入されている憲法は存在しない。
 
 イタリア共和国憲法

 第11条
 イタリアは他国民の自由に対する攻撃の手段としての戦争及び国際紛争を解決する手段としての戦争を否認する。他国と同等の条件のもとで、国家間の平和と正義を保証する体制に必要ならば主権の制限に同意する。この目的を持つ国際組織を促進し支援する。

 第52条
 1 祖国の防衛は、市民の神聖な義務である。
 2 兵役は、法の定める制限および方法において義務である。その履行により、市民の職務上の地位および政治的権利の行使を害することはない。
 3 軍隊の編成は、共和国の民主的精神に従う。

 
 イタリア憲法では11条で戦争を放棄する一方、52条では軍隊の保持を明文化している。
 この論旨はこちらから先制攻撃による戦争はしないが、自衛のための軍隊は持ち、侵略には断固として戦うということである。

 しかも法律用語ですらない「交戦権の否定」の文言まで存在している。これに至っては未だに意味が明白でない有様である。
 軍隊を保持しないと規定する憲法は世界に例がなく、交戦権否定のため自衛のための反撃すら戸惑わせる内容となっている。憲法9条の規定で最も異常なのがこの2項である。

 「あたらしい憲法のはなし」は未だに左翼団体が有難くおし頂いてるだけでなく、教科書にまで掲載されている。
 しかしこれまで見たとおり一部には頷ける内容もあるが全体として空想的で到底、国家のセキュリティを論じたものとは思えない。そもそも同書は国家意識さえ希薄な内容である。 

 昭和25年、朝鮮戦争が勃発した。北朝鮮軍は38度戦突破し、ソウルは3日で陥落し韓国軍は壊走状態に陥った。
 国内でも「愛される共産党」を標榜していた日本共産党が直ちに暴力デモと農村部でのゲリラ活動を開始した。現実のものとなった共産主義陣営の武力侵攻はアメリカの親ソ姿勢と日独の空想平和主義を吹き飛ばした。
 
 朝鮮戦争勃発とともに警察予備隊が発足「あたらしい憲法のはなし」副読本に格下げされた。保安庁が設立された昭和27年には同書は姿を消した。

 憲法9条と教科書に謳われた空想平和主義は3年待たずして、誤りが明らかとなったのである。

                                          滅罪
posted by 右野翼 滅罪 at 00:35 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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