フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛6


フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛〜国防・教育の再興が戦争を防ぐ〜

第5章 戦争は予知できない


 かくして戦争の火ぶたは切って落とされた。
 前年の昭和56年(1981年)の12月初旬にはすでにアルゼンチン側は武力侵攻を決定していた。これはガルチェリ大統領とアナヤ海軍司令官の二人の間だけで決定され、この決定にラミドソ空軍司令官も同意した。

 この決定はコスタメンデス外相にものちに了承されるが、外相は計画の全容について正確に知らされていなかった。

 コスタメンデス外相はアルゼンチン軍が島を全面占領した後も、これを外交交渉を有利に進めるための一時的な上陸だと解していた。
 彼は4月3日にガルチェリが熱狂する国民に「マルビナスの地を1メートルたりとも侵略者に譲らない」と宣言したとき、初めて事態の重大さに気付いたのである。
 正確な情報がなくとも隣国の国土に侵攻すれば全面戦争になるのは容易に理解できることであり、コスタメンデス外相の軍事への無知に驚かされる。
 だがここでわかるのは作戦計画の全容を知っていたのは三軍の司令官たちだけであり、外相さえも蚊帳の外に置かれていたことである。
 
 バルバロッサ作戦、真珠湾攻撃、中東戦争、イラン・イラク戦争、近代戦争は奇襲攻撃によって開始され、いずれも少数メンバーたちによって開戦が決定された。
 しばしば歴史家は大戦争の開戦原因を「国民が戦争を望んだ」と記すが、近代戦争で国民投票によって開戦が決定された例はない。
 アルゼンチン国民はマルビナス奪回にも向けられていたが軍事政権への不満が最大の関心事であった。だが戦争が始めると労働組合までガルチェリを熱狂的に支持したのである。

 歴史家、別宮暖朗氏は「国民は戦争が始まってから熱狂的に支持する、そして反戦論者まで政府を支持する」と現代戦の実相を現したが至言であろう。
 
 ガルチェリの戦争によって自らの延命を図る目論見は、見事に的中したのである。そしてそれは自らの命運をも絶つものとなった。
 人民から蛇蝎のごとく嫌われている中国共産党指導部が今また同じ轍を踏まないと誰が保証できるだろうか。

 軍事政権の戦争目的は島の奪回自体そのものにあり、同時に国民に訴えるものであった。そこで世論対策は開戦前から入念に進められていた。
 12月末からはコスタメンデス外相によってアルゼンチン国民に戦争への心構えをさせるべく、マスコミへの情報リークが開始された。 
 
 記者たちは軍事政権が既に決定していた作戦計画を断片的に仄めかされ「ラ・プレンサ」「コンビクシオン」等の有力紙に「戦争は軽微な被害ですぐに終わる」「実行するのは今だ」という好戦的な記事が躍った。

 以下は1月17日と翌週に「ラ・プレンサ紙」、ルオカ論説委員がマルビナス奪回について論じたものの要約である。

 
 ○ 武力によるマルビナス奪回はチリとの戦争より軽微な損害で終わり経費もはるかに少なくすむ。
 ○ 我が国は南米における有力な西側陣営の一員であり、同盟国アメリカはマルビナス侵攻も支持するはずであろう。
 ○ イギリスとの国交は一時的に冷却するであろうが、西側全体にとり戦略的価値のある我が国との断交など不可能で緊張も長続きはしない。
 ○ 島の守備隊は80名以下であり簡単に制圧可能である、機は熟している。 



 ルオカ論説委員は戦後、政府筋から7月までには侵攻するかもしれないと打ち明けれらたと証言している。
 
 これはガルチェリ・アナヤら軍事政権主戦派のメンバーの目論見と同一のものであり、実際に発生したアルゼンチンの侵攻計画と一致している。
  
 平成25年現在、中共政府は「戦争の準備をせよ」という好戦的な言辞を連日吐いている。これも開戦に向けた世論形成の疑いであることは否定できず、同額面通り受け取るべきかもしれない。 

 このように侵攻は約3か月前には決定され、予備役の動員・弾薬、資材の集積といった兆候のみならずアルゼンチン紙では侵略の予告ともいうべき好戦的な記事が躍った。
 
 そして前述したように4月2日の全面侵攻に先立つ、3月19日には民間人に扮した海兵隊員の上陸が開始されていた。この『解体業者』不法上陸のニュースは英国でも盛んに報道されている。
 
 だがサッチャー政権が全面侵攻を悟ったのは2日前であった。
 31日午後ノット国防相がアルゼンチン海軍の空母「ベインテシンコ・デ・マヨ」の進路変更と潜水艦のポートスタンリー接近の報を受け、ようやく侵略がはじまったことを確信し官邸に急行している。
  
 31日夕刻、サッチャーは対抗策を講じる一方、最後の説得をレーガン米大統領に打診した。
 レーガンにとっても寝耳に水の事態であった、アメリカは偵察衛星と情報機関CIAを有し、何よりアルゼンチン最大の盟友として同国に軍事顧問を派遣も派遣している。にも関わらずアメリカが侵攻を察知したのはイギリスより後であった。
 
 4月1日レーガンは直接何度も電話をかけ、ガルチェリに連絡を取ろうとした。
 午後八時ようやくガルチェリと接触したレーガンはアメリカ侵攻を支持せず、フォークランド侵略は自滅の道であり思いとどまるよう必死に諭そうと試みた。
 だがガルチェリは通訳を介してひたすらマルビナスの主権を訴えるだけであり、50分にわたる説得は徒労に終わる。

 そして翌日午前4時15分、ハント民政庁が全島民に非常事態を宣言し、ほどなくしてアルゼンチン海兵隊の上陸が開始された。



 以上が開戦前夜の状況であるが、ここで二つの疑問が残る。

 
 1、なぜイギリスはこれだけの兆候がありながら侵攻を予知できなかったのであろうか。
 
 2、ガルチェリはなぜレーガンの説得に応じなかったのか



  
 最初の疑問であるがこの点についてイギリス労働党やマスコミがこぞってサッチャーの責任を追求した。
 
 昭和58年(1983年)1月、政府が設置した諮問機関、フランクス委員会は戦争を予期するのは不可能であったと検証した。 

 しかし、一部にはサッチャーは戦争を予期できたはずであるという声が根強く、サンデータイムズ特報部が編纂した『フォークランド戦争“鉄の女”の誤算 』(宮崎正雄翻訳 原書房)では侵攻は予期できたことであり、起きる必要のなかった戦争であるとしてサッチャーを厳しく追及している。

 だが戦争を予期できなかったのはサッチャーだけではない。そもそもそれまで侵攻など全く予知せず融和外交を繰り広げた労働党は責任について論じる資格はない。
 
 そして与野党のみならず、在野の専門家たちも同様に侵攻を予期できなかった。
 
 英国の経済誌ビジネスウィークは「赤字削減のため、軍事費削減を打ち出している軍事政権が戦争に訴えるわけがない」と分析している。この特集記事が開戦3日後に店頭に並ぶという珍事が発生している。
 
 現在でも経済相互依存関係にある日中間で戦争が起きるわけがないと分析するエコノミストが後を絶たない。だがフォークランド紛争の事例を見てもわかるように戦争とは経済的理由を度外視して開始されるのである。 

 専門家も情報機関も正確に情報を予測できず、指導者も判断を誤る。これはウォルステッターの罠と呼ばれる現象である。
 
 これはシカゴ大学のアルバート・ウォルステッターが定義したものである。

 情報機関は無数の情報を分析する際、危機のシグナルを見落しがちであり、また運よく指導者に届いても指導者は相反する情報と照らし合わせて、差し迫った危険はないと判断してしまう。
 
 真珠湾攻撃、バルバロッサ作戦、そして9・11テロといずれも危機の情報は指導者に到達しにくく、知らされても彼らは差し迫った危険はないと判断した。

 英国も同様にウォルステッターの罠に陥ったのである。実際にアルゼンチンの英国大使館は本国に戦争の危機を通知しているが、侵攻の2年前から度々本国に打電していたので外務省から信用されなくなってしまっていた。

 だがその中でもサッチャーは全面進行こそ予期できなかったものの、哨戒艦エンデュランス派遣、軍への待機命令発動、原潜コンカラーの出撃命令と段階的に対抗策を実施している。
 戦争は予期できたものはいなかったのであり、サッチャー政権の責任を問うことはできない。

 そして次の疑問点、なぜガルチェリはなぜレーガンの説得に応じなかったのかかであるがこれは単純に軍事的な理由によるものである。

 作戦計画は近代国家にとり国家事業である、市井の市民である予備役の動員し、武器弾薬を終結させ、部隊ごとに集中させ、決められたポイントに開進させる。
 作戦計画は発動されるとある段階から取り消しができない。
 説得が行われてた4月1日と言えばすでにサウスジョージア島に海兵隊が侵入し、空母1隻・駆逐艦4隻・揚陸艦4隻からなる艦隊がフォークランドに進撃をしている最中である。
 この時点で部隊をすべて逆送されれば、ガルチェリの政治生命は勝利も敗北もせず断たれてしまう。

 そもそもガルチェリはアメリカは最悪でも中立に回ると確信していたし、仮に思いとどまったところで一度侵攻作戦を開始した部隊を連れ戻すのは物理的に不可能である。そのようなことを実行できた国家は近現代史に存在しない。
 誰に説得されようが、また結果がどうであれこの段階ではガルチェリは侵攻作戦を計画どおり実行するしかないのである。
 
 民間人の交流が戦争を防ぐと説く、学者や一部政治家は後を絶たず、民間外交と称して仮想敵国との交流を進める運動家もいるが愚かなことである。

 この事例が示すように近代戦争は作戦計画が発動されると「話し合い」では止められない。首脳会談でさえ無意味であり、レーガンが直接訪問しても結果は変わらない。
 民間交流などいくら実施しても戦争抑止とは何の関係もない。

 



【戦訓7】中共政府の好戦的な発言は戦争準備の可能性があり、軽視してならない。

【戦訓8】戦争は平時の経済を度外視した行為であり、経済を理由に侵略を断念することはない。

【戦訓9】戦争発生を予測することは難しく、専門家や諜報機関でさえ正確にはわからない。なぜなら戦争は相手側の意志で始まるからだ、そして相手の心を正確に読むことには限界がある。我が国でも「中国が戦争などするわけがないと」と予測する専門家が多いが「想定外」に備えるべきである。

【戦訓10】戦争は少数の意志決定者のみで討議され、民間人の出る幕はない。そして中国が侵攻作戦を開始すればいかに話し合っても手遅れである。むしろ侵攻開始直後に対話を求めれば相手に勝利を確信させる。まず相手の軍事力を殲滅せねば交渉そのものが始まらない。
   

                                       
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フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛5


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 第4章「ロザリオ作戦」

 
 アルゼンチンはフォークランド諸島及び、サウスジョージア島、サウスサンドウィッチ島全島占領を企図した「ロザリオ作戦」を開始した。
 注目すべきは侵攻第一波は民間人に偽装した海兵隊員だったことである。

 昭和57年3月19日、アルゼンチン「解体業者」を名乗る一団がサウスジョージア島に不法上陸した。
 駐在していたイギリス南極観測隊員が誰何すると彼らはアルゼンチンと英国、両国政府から許可を得て上陸していると応じた。
 しかし本国に照会してもそうした事実は存在せず、解体業者らはアルゼンチン国旗掲揚し始めた。
 
 これは英国でもたちまち報道され、政府はこれに厳重に抗議。哨戒艦エンデュランスと海兵隊を急派した。 この時エンデュランスに乗り込んでいた王立海兵隊(ロイヤルマリーン)は23名に過ぎなかった。
 
 英国側の如何なる要人も政府機関も侵攻の直前までアルゼンチンの侵攻があるなど夢にも思っていなかった。アルゼンチンの行動は度重なる『嫌がらせ』の一つに過ぎないと考えていたのである。海兵隊急派も念のための処置であった。

 だがすでに戦争は始まっていた。22日にはアルゼンチン側が退去していった。この時英国側では全員が退去したという情報が流れ関係者は安堵した。

 だが実際には大量の物資が残され、数名が残置されていた。この残ったアルゼンチン人こそ海兵隊の分遣隊であり、残された物資は武器・弾薬・無線機・食料であった。

 25日、サウスジョージア島の分遣隊の誘導で、500名のアルゼンチン軍が侵入を開始した。
 4月2日にはアルゼンチン軍が4000名を動員した全面侵攻が発動された。瞬く間にフォークランド諸島の他、サウスジョージア島、サウスサンドウィッチ島の全島が制圧されたのである。



【戦訓6】侵略者は第一撃を撃った事実を誤魔化すため民兵や民間人に偽装した兵士を先頭に立てることがある。現在押し寄せている中国の漁船団や監視船は侵略の尖兵と見るべきである。

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フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛4


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第3章 崩壊する軍事バランスと軍事政権の野望


 前述したように、労働党の社会主義政策の結果として英国は深刻な財政難に陥ることとなる。
 労働党の国防軽視も手伝って、大軍縮が推し進められた。かつて七つの海を制覇した王立海軍(ロイヤルネイビー)にも大鉈を振ることとなった。

 大型空母「アークロイヤル」の退役が決定され、大小の艦艇の退役・廃棄を発表。
 これによりフォークランド島に英軍が投入できる戦力はヘリ空母「インビンシブル」「ハーミーズ」2隻とハリアー戦闘機、24機に過ぎなくなった。

 当然、将兵の士気も低下する。フォークランド侵攻直前、アルゼンチン武官はイギリス海軍視察し「予算削減によって、兵士に不満と無気力感が広がっている。」と本国に打電している。
 フォークランド守備隊増強案もアルゼンチンを刺激するとして却下された。イギリス軍の兵力は東フォークランド島に海兵隊員60名、全島でも兵力は100人未満であった。
 政権を奪還したサッチャーが国防の見直しを実施し、轟々たる批判を浴びつつも若干の国防費増額と艦艇の退役延長を勧める。
 
 しかし時すでに遅しであった。アルゼンチン軍は南米最強の戦力を誇り、作戦機220機と大型空母「ベインテシンコ・デ・マヨ」保有していた。
 
 そしてサッチャー政権誕生と時を同じくして、軍事政権も新大統領ガルチェリによる新体制が発足していた。
 軍事政権のメンバーは英国に強硬姿勢で臨み、とりわけ最強硬派のアナヤ海軍司令官は英海軍はフォークランドでまともな作戦行動などできないと見なしてた。
 また重要な点は彼らがイギリスの核兵器について全く脅威と認識していなかったことである。核兵器はこの場合『使えない兵器』であった

 
 軍事バランスの崩壊とアルゼンチンの国内事情が戦争勃発へと拍車をかけた。

 クーデター以降もアルゼンチン経済の悪化は歯止めがかからず、失業率は30%を突破。全土で反政府デモ頻発し、ブレノスアイレスでは過去最大の反政府デモが発生していた。

 昨年、李明博大統領は支持率回復のため、竹島上陸を実行した。だがそれでも支持率は回復せず、それに続く天皇陛下への謝罪要求を繰り広げた。
 韓国同様、軍事政権は単なる強硬姿勢を示す程度では回復せず、ガルチェリは勝てそうな相手である英国へ戦争に訴える以外、選択肢はなくなったのである。
 
 


【戦訓3】軍事バランスの崩壊は仮想敵国に勝利を確信させ戦争の直接原因となる。我が国も10年連続で削減された防衛費の大増額が検討されるべきである。

【戦訓4】イギリスは核保有国であったにもかかわらず核抑止力は機能しなかった。核兵器は大戦争を抑止するが、限定的侵攻やテロには機能しない。アメリカの核の傘があってもそれだけでは尖閣は守れるわけではない。

【戦訓5】内政に失敗した国は外に敵を作り不満を逸らそうとする、中国も同様である。



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posted by 右野翼 滅罪 at 01:15 | Comment(3) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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