フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛3


フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛〜国防・教育の再興が戦争を防ぐ〜

第2章 融和外交が招いたフォークランドの危機


 第二次大戦後、日本のシンガポール攻略に端を発する植民地の相次ぐ独立により大英帝国は崩壊した。

 昭和22年、アメリカ主導で西欧の戦後復興「マーシャルプラン」が開始されたことで、イギリスが西欧のリーダーから転落したことは明白となった。

 「一方にソ連という名の巨大な熊がいる。もう一方にはアメリカという名の猛牛がいる。その間にイギリスという名の哀れなロバがいるのだ。」 

 大英帝国の戦時宰相ウインストン・チャーチルの評は当時の国際情勢を的確に表したものだろう。

 南米のアルゼンチンは以前から南大西洋上にあるイギリス領の諸島フォークランド諸島の領有権を主張していたが、この翌年から国を挙げてフォークランド諸島(アルゼンチン呼称マルビナス)返還運動を開始することとなる。この動きは英国の国際的地位の低下と無関係ではないだろう。

 アルゼンチンではマルビナス返還デモが断続的に繰り返され、アルゼンチン活動家が不法上陸、国旗を掲揚するなどの行為もしばしば繰り返された。

 自動小銃で武装したアルゼンチン国家主義者数名が同国で航空機をハイジャックし、首都ポートスタンリーに強行着陸する事態が発生。

 彼らは国旗を掲揚しビラを巻き立ち去った。明らかにアルゼンチン国内法に触れる犯罪行為であったが帰国した彼らは英雄のように国民から歓迎された。マルビナス返還運動は完全に一線を超えつつあった。

 アルゼンチンでは戦後、20年以上にわたりクーデターと左右各派のテロと内戦が繰り返され、経済は一向に好転せず、政治的混乱が続く。

 昭和51年(1976年)アルゼンチンでクーデターが発生。軍事独裁政権が成立する。
 軍事政権は反対勢力を徹底的に殺害・投獄する一方、国民の不満をそらすため大々的なマルビナス奪回キャンペーンを行う。有力紙も武力侵攻を叫び軍事政権成立後、さらに運動は激化。
 そしてイギリス労働党が弱腰外交で臨んだことが、それに拍車をかけた。


 昭和51年12月、アルゼンチン軍が、サウスサンドイッチ諸島サザンスーリーに上陸これを占拠した。
 これは国際法上の明白な侵略行為である。
 
 現在でも我が国の政治家や言論人には「侵略の定義は明白でない」とか「勝者が決める」と主張する人物が後を絶たない。だが侵略には明確な定義が存在する。
 昭和49年(1974年)12月14日に国連総会第29回総会で採択された、『侵略の定義』から抜粋しよう。




侵略に関する定義 「国連総会決議3314」 

第一条(侵略の定義)

 侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう。

第二条(武力の最初の使用)

 国家による国際連合憲章に違反する武力の最初の使用は、侵略行為の一応の証拠を構成する。ただし、安全保障理事会は、国際連合憲章に従い、侵略行為が行われたとの決定が他の関連状況(当該行為又はその結果が十分な重大性を有するものではないという事実を含む。)に照らして正当に評価されないとの結論を下すことができる。

第三条(侵略行為)

 次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無に関わりなく、二条の規定に従うことを条件として、侵略行為とされる。

(a) 一国の軍隊による他国の領域に対する侵略若しくは、攻撃、一時的なものであってもかかる侵入若しくは攻撃の結果もたらせられる軍事占領、又は武力の行使による他国の全部若しくは一部の併合


(g) 上記の諸行為い相当する重大性を有する武力行為を他国に対して実行する武装した集団、団体、不正規兵又は傭兵の国家による若しくは国家のための派遣、又はかかる行為に対する国家の実質的関与


 侵略とは第一撃、先制攻撃を実行した国である。それを軍隊でなく民兵や沿岸警備隊などの準軍事組織、金銭で雇われた傭兵が実行しても変わらない。国際法における侵略者の定義は単純明快である。
 そして領土問題は現在でも世界中に存在し、どこ国でも「未回収の領土を武力で奪還せよ」と呼号する勢力が存在する。しかし領土問題は対話で解決することが原則である。


 
パリ条約不戦条約(戦争ノ放棄ニ関スル条約、昭和4(1929)年)

 第1条

 締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えないこととし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。



 国連憲章 第2条4項

すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない




 パリ不戦条約成立以降は武力による国境線変更は禁止された。領土問題で異議申し立てがあればかつては武力で決着をつけたが、現在は対話で解決すべき問題なのである。

 国境線で不満があるからといって、相手国に軍隊や武装集団を侵入させ、国土を占拠すればこれは国際法上の侵略(Aggression)に該当する。それが無人の島嶼部であっても同じことだ。
 
 現在、韓国の国定教科書は竹島を「光復とともに取り戻した」と記述している。中国人は尖閣や沖縄を「奪回せよ」と呼号している。
 中国人や韓国人は自由意思で調印した国際法規など眼中になく、自ら侵略者だと公言して恥じないのである。またこれを問題視しない我が国の「平和主義者」たちは異常な存在と言わざるを得ない。

 昭和51年12月のサザンスーリー占拠もどちらが侵略者であるかは動かない。アルゼンチンがイギリスを侵略したのである。
 
 ところが労働党政権はこれに抗議するどころか、翌年まで占拠の事実をそのものを隠蔽したのである。
 また歴代政権はエスカレートするアルゼンチン側の行動にも関わらず「侵攻すれば武力で反撃すると」とは一度たりとも明言していなかったのである。
 
 昭和57年のアルゼンチンのフォークランド侵攻はこうした融和外交の当然の帰結として発生したのである。
 



【戦訓2】武装集団による領土の占拠は国際法上、明白な侵略である。「無人島だからよい」「相手を刺激するな」という理由でこれを黙認すれば次の侵攻を誘発する。竹島・尖閣も同様である。

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posted by 右野翼 滅罪 at 19:32 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛2

     
フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛〜国防・教育の再興が戦争を防ぐ〜
 
第1章 社会主義政権のもたらした「英国病」

 昭和21年(1946年)第二次大戦後、英国史上初めて社会主義を掲げるアトリー労働党政権が誕生する。
 
 アトリー内閣は「ゆりかごから墓場まで」といわれる手厚い福祉政策に着手する。

 国民が原則無料で医療を受けることが出来る『国民保健サービス法』、生活困窮者を扶助する『国民扶助法』、青少年を保護する『児童法』と矢継ぎ早に社会保障制度が確立されていった。
 さらに国内においてはと大規模国有化を推し進めていった。
 
 だが手厚い福祉と大規模国有化によって発生したことは労働者の勤労意欲低下と深刻な財政難であった。労働党によって推し進められた社会主義政策によって英国は30年にも及ぶ混迷に喘ぐこととなる。

 様々な立法措置によって守られた労働組合はストライキは頻発させた。

 昭和53年〜54年(1978年〜79年)の大規模スト「不満の冬」では病院・学校・ゴミ収集・死者の埋葬などの公共サービスが麻痺。停電とガソリンスタンドの閉店で交通の途絶。都市機能が停止する事態となった。

 事態を悪化させたのは左派マスコミと労働組合が結託である。

 昭和45年(1970年)から49年まで保守党のエドワード・ヒース政権が労働党から政権を奪取したが、マスコミのバッシングと労働組合のストで攻撃され短命に終わることなった。ヒース政権の保守党政治家はバッシングを恐れ弱腰となっていた。

 このときヒース内閣で教育科学相を務めていたサッチャーは左翼勢力との断固対決の姿勢を貫いていた数少ない保守政治家の一人であった。 教育予算を削減する必要に迫られたサッチャーは学校における牛乳の無償配給の廃止した。サッチャー女史についたあだ名は「ミルク泥棒」だった。サッチャー女史は閣僚の中でも猛烈な抗議の嵐に晒された。

 我が国にも学校給食制度が存在するため、横暴に見えこのときサッチャー女史を悪鬼羅刹のように批判する者がいた。だが発展途上国ならいざ知らず、先進国ではそもそも給食制度は不用であろう。本来の教育費を圧迫するだけでなく、母親を家事から遠ざける一因となっているのではないか。

 社会主義政策で疲弊していたのは経済だけでななかった。教育現場では左翼教員らが主導権を握り、偏向教育を開始していた。

 生徒を好き勝手にさせる「児童中心主義教育」によって学力は急速に低下。義務教育を終えても自分の名前すら書けない生徒が急増する有り様となった。

 さらに現在も我が国の日教組が行っている過激な性教育によって若者の性道徳は乱れ未婚の母の増加が社会問題となる。しかもその未婚の母親たちも手厚く保護されるのだからその数は激増した。
 
 また我が国の教育が抱える自虐教育が英国においても開始されていた。 
 「大英帝国の歩みは侵略の歴史であり、イギリスは殺人国家である」という自虐教育によって愛国心が低下。
 さらにこのころから現在でも問題化している大規模な移民受け入れも開始していた。移民の多くはアラブ系でこの移民の児童に対する人種差別に繋がるとしてキリスト教に基づく宗教教育も停止された。 

 結果として道徳は荒廃し犯罪は急増する。貿易赤字は膨らみ、76年にはIMFから緊急融資を受けることとなった。
 
 「イギリスは友からも敵からも、戦時はおろか平時でも自国の利益を守る意思と能力のない国だと見なされていた。」(サッチャー回顧録 上P218)

 長年の左翼政策、特に教育の荒廃が国力を衰退させ、後述するアルゼンチンの侵略を招くのである。



【戦訓1】社会主義政策は国力を衰退させ、外国の侵略を受ける遠因となる。わけても愛国心を奪い、外国の侮りを招く自虐教育は我が国においても早急に是正されなければならない


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posted by 右野翼 滅罪 at 18:33 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛 1


 平成25年4月8日、マーガレットサッチャー元首相が亡くなられた。
 
 同氏は衰亡の途にあった英国を立て直したのみならずレーガンと肩を並べ冷戦終結の立役者となった人物であった。20世紀に残る偉大な宰相の死に対し心より冥福を祈りたい。

 本ブログでもサッチャー元首相の決断、わけてもフォークランド紛争における見事な指導力について過去に論じた。

 

 現在、安部政権に誕生によってわが国は国力を回復しつつある。しかし左派文化人のバッシングや中国の尖閣での空と海からの侵入など予断を許さない事態が続いている。
 
 ここで崩壊同然であった英国の教育・経済を立て直し、外敵を打ち破ったマーガレット・サッチャーについて振り返ることは我々にとっても意義深いものであろう。
 
 これより紹介させていただくのは私がある講演会で発表した『フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛〜国防・教育の再興が戦争を防ぐ〜』のレジメを論文形式に修正・加筆したものである。
 
 同氏が最大の決断であったと振り返るフォークランド紛争を学び、我々の教訓としつつ元首相の功績を偲びたい。
 




フォークランド紛争に学ぶ尖閣防衛〜国防・教育の再興が戦争を防ぐ〜 
 
 序文 

 民主党政権による「友愛外交」以降、中国の艦船や航空機が尖閣諸島への侵入を繰り返している。
 もはや侵入は常態化し、侵攻が間近に迫っているといっても過言ではない。

 昨年ようやく自民党政権が復活を遂げた。早急に尖閣をはじめとする離島防衛に着手する必要がある。
中国海軍は空母の配備に成功し、航空機が領空にも侵犯した。

 もはや「毅然とした対応とる!!」という空虚な掛け声ではなく、具体的な対策を講じなければならない。
 そこでモデルケースとなるのは昭和57年(1982年)のフォークランド紛争である。

 長期の左翼政策によって国力が低下したイギリスはアルゼンチンの軍事政権からフォークランド諸島への侵攻を受けた。
 しかし時の英国首相マーガレット・サッチャーはすぐさま自衛権を発動し、これを撃退した。
 フォークランド紛争はわずか30年前に発生した現代戦であり、また島嶼を巡る戦争という点からも我が国にとり戦訓の宝庫と言える。

 なぜイギリスは侵略を許したのか、そして侵略を受けた場合、どのように対処するべきか。フォークランド紛争の戦訓から我が国の取るべき具体的な尖閣防衛策について論じたい。

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posted by 右野翼 滅罪 at 17:40 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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