稲作は金で考えてはいけない


私はデンマーク人の監督のラースの映画が大好きで、ドッグヴィルとマンダレイは未だに好きです。

ドッグヴィルは昔見た事があって、印象的な映画の一つだった。

今回また見て前よりも深くそしてえぐる様な映画だと再確認し、影響を受けた映画は?
と聞かれたらすぐに名前が上がる映画となった。

映画の話はさておき、このマンダレイと言う映画の中で、

黒人と白人が様々な苦労を共にしながら、綿花を植え、そして飢えながらも、綿花を収穫に成功する。

そして、収穫するとその後、必ずツバメが訪れ、飛び立って行くのだが、その光景を皆で仰ぎ見る様が非常に印象的だ。

その神々しさは、まさにその人々にだけ訪れるモノなのでしょう。

ひるがえって我が国ですが、言うまでも無く我が国はお米の国です。

お米は我が国の国体であり、信仰の対象であり、わが国の精神をになってきたものです。

我が国は豊葦原瑞穂の国であり、天皇陛下の新嘗祭は収穫祭であり、
日本で食事といえば、ご飯であり。
生活の糧を得る事を、飯をくう。
といいます。

田圃とお米と共に日本人はあった。

その習俗も信仰も喜怒哀楽も共にあった。

我々の祖先、いや、農家の方々は今も、田を営み、畔を作り、草をとり、苗を作り、植え、収穫する。

米をとり、神に捧げる。

団子を作り、お餅を供える。

そして、お米の最終製品とも言える、お米を醸した、お酒を供え、そしてそれを皆で酌み交わす夜は、明らかに神と一体になったであろう。

無から、自然と一緒になって生を営んで行く!!

彼らは、まさにその結晶である、日本酒を酌み交わす時、自分が世界と一体の存在であると知っていたに違いない。

神々しさはその様なモノであろうと思うのです。

みぎの


posted by 右野翼 滅罪 at 17:39 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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