【パレスチナの真実】〜イスラエルは悪者か〜其の2

【4】中東戦争はアラブ側による侵略戦争に他ならない

トルコに代わってパレスチナの統治者となったイギリスは 1917年、彼の地にユダヤ国家建設の許可を与える「バルフォア宣言」を採択した。ユダヤ人口が数万人に達し、国家に必要な社会基盤が整備されていたからだ。この「バルフォア宣言」はパレスチナに暮らすユダヤ人とアラブ人の共存を謡い、両者に同等の権利を与えることとしていた。
だがアラブ人はこれに対しかつてイギリスと締結した「フセイン・マクマホン協定」を盾に強硬に反対する。同協定はアラブ国家建設を約束したものだ。だがこれにはパレスチナ一帯は含まれていなかった。 (ダマスカス、ホムス、ハマ、アレッポを結ぶ領域内と規定 )だがアラブは「イスラムの聖地であるエルサレム周辺は領土に含まれるのは当然。」と言い出した。
国際法よりコーランを上位とし条約不履行を宣言する (この後もこういった事が繰り返される、イスラエルは旧約聖書を国際法より上位に置いたりなどしない )アラブとの交渉は難航した。 1921年4月からは反ユダヤ暴動が発生し1ヵ月で 300人のユダヤ農民が死傷し、多くのユダヤ人が住み慣れた土地を追われた。パレスチナ紛争で最初に暴力に訴えたのはアラブ人である。
だがユダヤは平和裏に事態が収集することを望み、隠忍自重を続ける。 1937年にはユダヤ人国家のみが建設される筈だった同地をアラブ4、ユダヤ1で分割する「ピール分割案」を受け入れる。だがこれすらもアラブは一方的に拒否した。
 第二次大戦が始まるとアラブ指導者はユダヤ人絶滅政策を進めるナチス・ドイツとの連帯を開始する。 1941年には大ムフティ(イスラム教指導者)がヒトラーと会見しドイツが中東を支配した暁にはこの地域のユダヤ人を絶滅させるよう要請する (※1)
大戦後はアラブ人はユダヤ人に対するテロ攻撃を続発させ、多くの罪なきユダヤ人が殺害された。これに対抗するためユダヤ人は自衛のため民兵組織を結成する。パレスチナでは激しい戦闘が繰り広げられ、英軍が出動する事態となった。
アラブに譲歩する姿勢を見せた英国に一部ユダヤ人までがテロを開始する。 1946年キング・ダビデホテルが爆破され (※2)これにより英国は 47年にパレスチナからの撤退、問題解決は国連に委ねられた。
それまでの分割案はいずれもアラブ側に有利なものであった。だがアラブ側はテロに訴えそれを取り締まらず、しかも国家の基礎となる社会整備に対する準備も意欲も見られないといった実態があった。 (これは現在でも同じである。 )このため1947年に国連総会で可決された分割案はユダヤ側有利となる。
だがそれでもユダヤ人国家と隣接したアラブ人国家の建設を認め、聖地であるエルサレムに関してはユダヤ人のものでもアラブ人のものでもなく国際都市であると規定したものであった。だがアラブ諸国はこれを拒絶、こぞってイスラエル建国を武力に訴えてでも阻止すると脅し続けた。1948年 5月ユダヤ側はこれを受け入れイスラエル国が誕生する。

「イスラエルは回りのアラブ諸国と平和な共存を願っています」
イスラエル首相ベングリオン独立宣言時の演説

アラブ人がこの決議を受け入れていれば、このとき同地にはパレスチナ人国家が誕生していただろう。ところがアラブ側は如何なる決議も認めず暴力に訴える。独立宣言の三ヶ月前にすでにアラブ諸国は武力侵略を決定。独立宣言から 24時間も経たぬうちに、エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラクの大部隊が独立したばかりのイスラエルへ殺到した。

「我々の攻撃は、モンゴル人や十字軍による蛮行と並び称されるような、徹底的な虐殺と根絶の戦いとなることだろう。」   

アサム・ハカシ(アラブ連盟事務総長)「中東戦争全史」(学研M文庫)

戦車すら持たぬイスラエル軍は人口の1 %近い犠牲を出しながら奇跡的な勝利を収める。
だがその後もアラブ諸国は「ユダヤ人を海に叩き込め。」と主張しイスラエルに対する
攻撃を繰り返している。中東戦争はアラブ側によって開始された侵略戦争なのである。

【4.2】誰も取り上げないイスラエルの和平努力

イスラエルはこれまで和平を願い、譲歩に次ぐ譲歩を重ねてきた。停戦の為にエジプトにイスラエルの 2倍の面積であるシナイ半島を返還した事さえある。ロシアや韓国が北方領土や竹島を返還しないことを考えればこれは国際的に見て奇跡的な譲歩である。だがエジプトとヨルダン以外、停戦合意をサインした国はない。
また第一次中東戦争終了後の 19年間、東エルサレムを含むユダ・サマリア地方がヨルダンの統治下、ガザ地区がエジプトの統治下にあったが、当時、彼らは同地にパレスチナ人国家を建設しようとはしなかった。今でこそエジプトもヨルダンもパレスチナ人国家建設を主張しているがし彼らがこれらの土地を統治していた時には何も為さなかったのである。
イスラエルで国内でアラブ系住民の蜂起「インティファーダ」が発生すると自国のオリンピック選手までも殺害した仇敵 PLOと指導者アラファトを許し、ヨルダン川西岸の 42%、ガザ地区の90%に「パレスチナ自治政府」の建設を認めた。(オスロ合意)自治政府発展のために数々の福祉事業やインフラ整備も実施した。だが合意の最中ですらアラファトはテロ組織「ハマス」に指令しテロを再開したのである。
イスラエルは和平のたびに領土も言われるままに返還し、遺族の反対を押し切ってテロリストを何百人も釈放した。だがこうした和平の努力は全てアラブ側によって反故にされたのである。そして今回、入植者の反対を押し切って入植地からの全面撤退が決定した、こうしたイスラエルの和平への試みは一切伝えられる事はない。


posted by 右野翼 滅罪 at 12:01 | Comment(1) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ありとあらゆるところで真実と嘘が交じり合い、最早何を信じていいのか分からない。

日本のある地方都市の夜の繁華街にアクセサリーを売りに着てたユダヤ人男の態度に無性にムカついた記憶が、生身のユダヤ人に対するただ一つの記憶である。
だが、反ユダヤの連中の主張の方法(明らかに印象操作をしようとしている)、その素顔を鑑みるにあたって
反ユダヤの連中よりは、イスラエルのほうが信用に値すると思います。
Posted by 鬼威 at 2014年06月23日 20:18
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