【真珠湾への道】1〜要約〜右野翼と滅罪2号”共同謀議緑”






posted by 右野翼 滅罪 at 23:00 | Comment(2) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
右野さん、滅罪さんこんにちは。
論文、放送お疲れ様です。私は無知なので大変勉強になりました。
素人目線ではありますが、私なりに何点か気になる点をあげてみました。
議論を深めるための何かの材料にでもなれば幸いです。
※長くてごめんなさい。

a.ハワイ作戦に対する自信から海軍が開戦派に傾いたという点とその時期について
論文中では、1940年9月頃よりハワイ作戦を背景として海軍が三国同盟賛成に転じ始めたとなっています。
しかし、山本司令長官が及川海相にハワイ作戦を口頭で初めて打ち明けたのは1940年11月であり、大西第11航空艦隊参謀長に作戦立案を依頼し、黒島・佐々木・源田ら各参謀に作戦研究を命じたのは41年1月中旬、成案がまとまったのは4月と言われています。また、戦術の核心的要素である800キロ徹甲爆弾の投下実験が初めて行われたのは41年1月、片岡政市少佐により安定機付き浅沈度魚雷が考案されたのが41年7月です。
少なくとも1940年秋の時点で、及川海相ら海軍首脳の判断に影響するほどの具体的なハワイ作戦への自信があったとは考えにくいのではないでしょうか。

b.1940年11月に「(海軍首脳部が)ハワイ作戦を正式な計画とすることに踏み切った」という点
ハワイ作戦が海軍の作戦計画の俎上に上がったのは41年8月、軍令部が同作戦を容認したのは41年10月19日ではないでしょうか。
41年8月7日軍令部が内示した作戦計画にはハワイ作戦は1行も書かれておらず、その1週間後に山本長官からハワイ作戦を示された時、軍令部は同作戦に猛反対した、とされています。

c.米国はドイツと戦ってまで英国を助ける意思は無かったという点
米国が41年3月11日武器貸与法を成立させ、さらに英国への物資輸送に関して米海軍の哨戒と船団護送を行ったことはハーグ条約の中立義務違反と指摘されています。
4月10日には米駆逐艦ニブラックと独潜水艦との間に戦闘が行れ、米独は大西洋上において次第に宣戦なき戦争状態に入っていきます。
この時点での対英援助は「戦争一歩手前の支援」を超えた、戦争覚悟の挑発行為と言えるのではないでしょうか。

d.アメリカの実質的な中国支援が開始されたのは真珠湾以降であるという点
http://www.history.gr.jp/~showa/231.html
米政府は蒋介石に1940年9月に2,500万ドル、12月には1億ドルの借款を行っています。
当時のアメリカの国家予算が94億ドル、戦艦長門の建艦費が5,000万円(=1,000万ドル)ですから、相当な額ですよね。
米国の対中支援が本格化したと言えるのはこのあたりではないでしょうか。

e.フライング・タイガースは義勇兵という点
1945年参謀総長マーシャル大将は「アメリカ軍人が、日米開戦の前、すでにフライング・タイガー社員に偽装して中国に行き、戦闘行動に従事していたこと」を認めたそうです。
また、1991年米国防総省はフライング・タイガース259名が正規兵であったことを認めたそうです。
同軍司令官クレア・シェンノートが考案した日本爆撃計画「J.B.No.355」はルーズベルト大統領が承認し、この計画に基づきB-17が中国へ供与されました。大統領の署名日付は1941年7月23日です。
表面上は傭兵部隊の体裁を整えていたとしても、本質的には米政府の意思から切り離された存在とは言えないのではないでしょうか。

f.真珠湾攻撃以前に米軍は日本海軍の暗号を解読できていたなかったという点
ロバート・B・スティネットは著書「真珠湾の真実」の中で、米海軍は1940年秋までに日本海軍のD暗号を含む複数の暗号システムを解読していたと主張しています。
この説を完全に否定し、D暗号は解読されていなかったと断言することは可能なのでしょうか。

g.日蘭会商が妥結可能であったという点
日蘭交渉については取引量の他に、
・日本の希望する航空用油種が少なかった
・契約期間が6ヶ月と短かった
・採掘権を要求した鉱区についてはあきらかに貧鉱とみられるものしか割り当てられなかった
・日本人の蘭印への入国、企業進出、運輸・通信等インフラの敷設といった一般問題について応じられなかった
・蘭側は一方的に輸出量を削減することができた
など、様々な条件についての争点があったと思います。
特に日本が恐れたのは、妥結後すぐに輸出量を削減されて、協定を空文化されてしまうことだったのではないでしょうか。
現に仏印は41年6月の対日協定成立から1ヶ月後、コメの5割、錫及びマンガンの3〜5割削減を申し出ました。
蘭印は米国に戦略物資の供給確保を約束していたし、日本を経由してのドイツへの物資の流出を恐れていたので、そのようにされる恐れは充分あったと考えられます。
少なくとも応諾量の一事だけをもって、日本が飲めるはずの条件を無理やり蹴ったと言うのは公正さを欠くのではないでしょうか。
Posted by rhodo at 2011年02月19日 17:12
コメントありがとうございます。
大変見るのが遅くなってしまい申し訳ございません。
丁寧なコメントありがとうございます。
なるべく早くコメントを答えさせていただきます。

いつも生放送も見てくださってありがとうございます。
Posted by 右野翼 at 2011年02月26日 08:41
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