内乱としてのオウム真理教事件4〜逆賊追討〜

オウム真理教の狙い通り地下鉄サリン事件は首都を震撼させた、だがそれは同時に自らの命脈をも絶つものであった。
警察はサリン事件より2日後の払暁、22日、山梨県上九一色村のサティアン突入を始め、全国の教団施設計25箇所に敢行した。
これは日本の治安史上に残る作戦であった。とりわけサティアンは教団関係者以外、足を踏み入れたことはなく、相手は正体不明。しかも自動小銃やサリンなど警察を上回る武器で徹底抗戦することすら予想される。
早朝のニュースで全面を驚かせたのは強制捜査にあたる捜査員の出で立ちであった。捜査員の多くが自衛隊化学学校から供与されたガスマスクと迷彩色の戦闘防護衣に身を包んでいた。今でこそ災害派遣で見慣れた自衛隊の迷彩服だが、当時は迷彩服での災害出動すら左翼団体から物々しいとクレームが入る風潮であった。だが今や警察官がガスマスクや迷彩服を着用している。朝TVを見た国民は息を呑んだ。栄えある突入の先陣を切ったのは、当時はまだ極秘だった警視庁第6機動隊特科中隊SATである。ダッカハイジャック事件の反省から極秘裏に創設された対テロ特殊部隊で、マスコミには伏せられていたが突入の際、MP5サブマシンガンを携行していた。また捜査員全員が拳銃携帯し予備弾薬まで携行していた。日本の警察史上、捜査員全員が拳銃携帯で犯罪者の確保にあたることは極めて稀で、このときは警視庁捜査第一課660名と機動隊1000名を動員されていた。最大の脅威であったロシア製軍用ヘリはいち早く確保された。
大量のサリンプラントが建設予定だった第7サティアン、自動小銃の部品、捜査を妨害するPSIと呼ばれるヘッドギアをはめた異様な風貌の信者たち、警察官は皆息を呑んだ。しかも肝心のターゲット麻原が見当たらない。
増築を繰り返し、迷路のようになったサティアンの捜索は困難を極め、麻原はすでに逃亡した可能性すら危惧された。
だが、歴戦の捜査員のサティアンの外壁に開けられた不審な空気穴を見逃さなかった。
有名な屋上の隠し部屋が発見され、アルコール依存症で廃人状態となった首魁麻原が検挙された。
事態はこれで収束しなかった。強制捜査捜査の後、国松警察庁長官が狙撃され瀕死の重傷を負うこととなる。マスコミは事件をセンセーショナルに報じたが警察にとってはまさに戦争だった。


posted by 右野翼 滅罪 at 15:05 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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