内乱としてのオウム真理教事件5〜幻の治安出動〜

オウム事件は警察にとり前代未聞のテロであり戦争であった。だがそれは自衛隊にとっても同じであった。このときは警察の動きのみが報じられ、自衛隊については災害派遣準備をしていたとのみ報じられている。
だが実際はオウムが自動小銃とサリンでを抵抗し警察が『敗北』するという最悪の事態に備えて自衛隊の治安出動も計画されていたのである。事実、陸自の「陸乙般命第二七号電・陸上自衛隊幕僚長指示第三号」によって、「不測事態対処体制確立」が発令されている。
陸自の精鋭、第1空挺団はサリン事件以後、防護服の着脱訓練を開始。捜索前日の19時、東部方面隊隷下の第1師団、第12師団、方面航空隊は24時間出動可能な第三種非常勤務態勢に移行した。サリン散布に備え化学防護隊と治療隊120名北富士にて待機に入っている。
では具体的な作戦の概要はいかなるものだったのだろうか。 最悪の事態に至った場合、まず動くのは航空部隊だ。スカウトヘリOHー6Dによる航空偵察と住民の避難誘導と警察官の救助にあたる。
最大の脅威は、ロシア製軍用ヘリとラジコンヘリ部隊だ。これを叩くのは木更津の第1ヘリコプター団が誇る対戦車ヘリAH1Sーヒュイコブラだ。
このヘリは装甲車の装甲も軽く撃ち抜く20ミリバルカン砲、70ミリロケット砲、TOW対戦車ミサイルを装備している。
早期に敵航空兵力を沈黙させ、サティアンに立てこもる残敵
掃討へと以降する。
掃討戦を担うのは第1空挺団でこのために防護服での戦闘訓練を進めていたのだ。駒門駐屯地の第1戦車大隊の74式戦車による支援砲撃の後、突入、目標を占拠する。
これが実行されることのなかった幻の治安出動の内容であった。
治安出動は自衛隊にとり防衛出動と並ぶ『伝家の宝刀』に他ならなず、戦後一度も実施されたことはない。60年安保闘争の際、岸信介が治安出動を下令したが当時の赤城防衛庁長官により拒否された事例があるのみだ。そもそも戦前においても戒厳令などで軍が治安維持作戦を実施したケースは2・26事件など数少ない。
この治安出動計画は実際には発動されなかったとはいえ、オウム事件がいかなる重大事件であったかを物語る一例であろう。



posted by 右野翼 滅罪 at 16:09 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。