帝国海軍の『小さい戦争』

支那事変は蒋介石が始めた侵略戦争であることは本ブログで再三に渡りご紹介させて頂いた。
歴史の通説−陸軍か政府の何者かが事態を拡大させた−とは逆に実際には蒋介石が上海を決戦場と位置付け、上陸(上海海軍陸戦隊)に先制攻撃を加えたのだ。 これは現在、ほとんど知られていないが、それを察知した帝国海軍が蒋の機先を制する先制奇襲を決意した事を知るものはさらに少ない。
海軍、そして先帝陛下(昭和天皇)は上海に次々に国府軍がトーチカを築いているのを見て、近く蒋介石の先制攻撃が始まることを見抜いていた。
そこで海軍の伏見宮軍令部長は機先を制するため、陸攻でトーチカを叩き陸戦隊が占拠する先制奇襲を計画し、昭和天皇も止むなしと考えた。これは実に支那事変の前年であった。
これは好戦的、或いは日本の侵略と主張する者があるかもしれない。
だがトーチカ建設は第一次上海事変の停戦協定に対する重大な違反であり、こうした停戦協定への違反に対する先制攻撃は国際法上許容される。また中国側のテロ、中山水兵事件や萱生事件も見逃してはならない。そもそもこれは全面戦争ではなくトーチカ群のみを狙った『小さい戦争』であり、日中全面戦争とは分けて考えるべきだろう。 だがこの計画は広田外相の猛反対にあった。広田は大戦争と
小戦争の区別ができず、そもそも緊迫する欧州に目が向きそれどころではなかった。
陸軍に至っては驚くべきことに完全に無関心であった。支那に関しては華北が陸軍、華南が海軍という線引きがあったためである。
しかも陸軍のエリート省部軍人たちは政治に現を抜かし、軍事情勢への関心も見識もなかった。
海軍の先制奇襲が開始されて入れば蒋介石は出鼻を挫かれていたはずである。蒋はすでに対日戦を決意しており、戦争そのものを中止する可能性は低いが、それも零ではない。最悪でも史実のような奇襲は成立し得なかっただろう。また蒋介石が反日テロを行った段階で限定戦争が行われていれば支那事変そのものを防いだ公算は高い。
別宮暖朗先生の『小さい戦争が大きい戦争を食い止める』は至言である。
だがこの海軍の限定戦争案は軍事知識の欠如と役所のセクショナリズムによって歴史の彼方に葬り去られたのである。

滅罪


posted by 右野翼 滅罪 at 14:40 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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