滅罪辻説法『歴史を恐れよ』

本日はこの滅罪の小智で語るのではなく、いわゆる皇国史観の泰斗、平泉澄博士の御著書『山彦』より引用させて頂きたい。

P10『歴史を恐れよ』

恥づることなく、憚ることを知らぬ、謀略と暴力との、渦巻くさなかに在つて、思うこと多く、感ずる事深いが、その中の一つは、実に歴史を恐れよということである。
神を恐れよといふ方が、一段と深いであらうが、神を信ぜざる者の多い世には、しばらく歴史に就いて説くを分かりやすしとするであらう。
(略)
少しく才智があれば、時代の趨勢を察し、大衆の感覚を知つて、之に迎合し、之に順応してゆく事は、決して困難ではない。
ましてやや人にすぐれたる智能があれば、或は迎合して俗論に媚び、世の流行児となる事も出来るであらうし、或いは煽動して大衆を動かし、ほとんど風雲を呼ぶほどの勢いをなす事も出来るであらうし、或いはまた権謀を弄して勢威をほしいままにする事も出来るであらう。
しかも記憶せよ、それは、すべて一時の事である。
吹く風は、やがて収まるであらう。集まる雲もまた、遂に散ずるに違ひない。風収まり、雲散じたる時、人々は、きびしき歴史の審判の前に立つみづからを見出すであらう。

 以上

流行に流され、「こんな時代だから」と時流に乗り、迎合することのなんと愚かなことか。
 例えばポケベルだのジュリアナ東京だのもう覚えている人はいないし、その言葉そのものが馬鹿馬鹿しいものになっている。
 ある人は「「チョベリバ」など覚えている人はいない。時代が変わっても残るのものを身につけよう」と言った。
 時代にただ流され、それだけで身の回りを固めていれば、どことなく軽薄な人物となるし、世の中が変わると自分も取り残される。
 時代が変わっても残るものを土台としなければならない。それのひとつは自国の歴史と伝統を学び、継承してゆくことである。
 私も時代に流されるのが誤りと知り、現在勉強中の身である。


滅罪


posted by 右野翼 滅罪 at 19:23 | Comment(1) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も勉強を始めたばかり、未だ外部要因は変わりませんが、中身が少しずつ変化していると感じる限り。
Posted by 右翼 at 2012年02月14日 14:03
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