難攻不落の要塞など存在しない

難攻不落の要塞ーこれは史家がよく使う言葉である。
だが近代戦においてはそのような要塞は存在しない。どこの軍隊の士官学校の教本でも『要塞とは敵を食い止めるため反撃するための拠点にすぎず、応援が来なければ要塞は必ず失落する』と説いている。
これは当然の話で要塞兵は応援がこない限り補充されず、食糧も弾薬も備蓄している分しか存在しない。
反面敵は国軍であり、政府が存在している限り人員も物資もほぼ無尽蔵に供給できる。
第一次大戦のヴェルダン攻防戦の仏軍のように背後連絡線が確保されていれば要塞は戦い続けられる、だが包囲されれば後はいかに死力を尽くそうともいずれ敗北する。
第一次インドシナ戦争においてフランス軍はラオス国境の山間部の街、ディエンビエンフーに要塞を築いた。
ヴェトミンのゲリラ戦に悩まされていたフランス軍はヴェトミンを誘い出すための誘蛾灯として孤立した僻地に要塞を建設したのだ。
当然陸上からの補給すらままならなかったがゲリラ程度空輸で十分であり、押し寄せるヴェトミンを機関銃でなぎ倒せると考えていた。
だがこの作戦はフランス軍の直接の敗因となった。ディエンビエンフーには予想を遥かに上回る11万もの共産軍が殺到してきた。度重なる砲撃で空輸はすぐに不可能となり、1万三千のフランス軍は奮戦し、ほぼ同数の共産軍を死傷させたが3ヶ月後には降伏した。
そして大東亜戦争の日本軍の敗因は島嶼部に大量の兵員を配置したことである。海軍は島嶼部のネットワークで押し寄せる米軍を撃破できると主張したが、絶海の孤島は応援を期待できず、出撃すらままならないのだ。拠点としては要塞以下であり、このようなところに篭もったらどうやっても勝てない。
事実、太平洋に散らばった日本の陸兵は次々と各個撃破、あるいは餓死していった。
海軍エリートらの陸戦の常識を無視した計画とそれに易々と賛成した陸軍省部軍人のために数知れぬ日本人が南寧に散ったのである。

滅罪


posted by 右野翼 滅罪 at 19:07 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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