ヴェトナム戦争の敗因

ヴェトナム戦争にアメリカはピーク時で50万の兵力を投入した。
現在と異なり、アメリカは徴兵制を敷いていた。近代的な生活に慣れ親しんだアメリカンボーイズが聞いたこともないジャングル地帯に投入された。
部屋でテレビを見ていた若者たちがヒルや毒虫に苛まれ、時には近接戦闘を経験した、十代から二十代の彼らにとり消すことの出来ない記憶となった。
だが最後には全面撤退となり2年後には巨費を投じて支え続けた南ヴェトナムも北ヴェトナムの侵略により崩壊した。
パウエルやマケインなど政府要人には現在でもヴェトナム帰還兵がいる。
なぜ負けたのか−これはアメリカが今でも自問自答しているテーマと言っても過言ではない。
よくゲリラ戦で負けたと評される、だが米軍のキル・レシオは圧倒的で常に数倍のヴェトコンを殺傷した。
ハートアンドマインズ(民心獲得工作)に失敗したという向きもある、だが進歩的文化人や北ヴェトナム政府のプロパガンダとは裏腹で米軍はむしろ歓迎され、北はコンサン(共産)と呼ばれ恐怖の対象だった。
最大の原因は敵の策源地北ヴェトナムへ侵攻しなかったことである。
当時、北ヴェトナムはラオス・カンボジアを経由するいわゆるホーチミン・ルートを通過し南ヴェトナムへの侵略を続けていた。
北にはソ連と中国が大量の軍事顧問団を派遣していた。特に中共は最大で5万4000名を派遣しており事実上の参戦であった。
 ところがソ連・中共は公式にはヴェトナムに兵を送っておらず、それどころか北の正規軍も南には侵入しておらず、南の人民が「自発的」にアメリカ帝国主義と戦っているという壮大な嘘がまかり通っていた。
 これが通常の戦争であれば、まず南に侵入した共産軍を叩き、直ちに敵の首都ハノイを目指し侵攻を開始すべきであろう。
ところがジョンソンとマクナマラは中国の介入、すなわち朝鮮戦争の再来を恐れた。
 そこで南に侵入した共産軍を叩くに留め、北とホーチミン・ルートに対してはいわゆる北爆で空爆するのみだった。
 無論、ジョンソンもマクナマラも南ヴェトナムに兵を送り込まれているのは北の正規軍であり、ホーチミン・ルートを潰さなければならないことは理解していた。
 だが彼らは中国を刺激することを恐れ、どうしても北やホーチミン・ルートを地上軍で直接叩くことはできなかった。
 そればかりか中国の軍事顧問を捕虜にしても彼らの存在を国際社会の元に晒し、中共の南ヴェトナム侵略をを糾弾するのではなく、中国軍事顧問の存在を隠し中立国経由で本国に送り返すという配慮まで見せた。
 代わりに前述した空爆と極秘に特殊部隊が投入された。この特殊部隊は北ヴェトナム・ラオス・カンボジア時には中国南部まで潜入し、待ち伏せで共産軍を攻撃しづけた。
 だが空爆と特殊部隊だけでは正規軍に決定的なダメージは与えられない。そもそも空爆も厳しい制限が課せられ装甲車はいいが軍用トラックは攻撃してはならないといった不可解な制限がパイロットに与えられた。
 このように「ニオイのモト」を断ち切らないわけだから北は徴兵とソ連・中共の支援で無尽蔵に南に戦力を送り続けることができる。 それに対してはアメリカはいつまでもヴェトナムに駐留は出来ない。
 敵の本拠地を叩かないという足かせを自らにはめた時点で結果は見えていた。
 この戦争に勝利するためには少なくともホーチミン・ルートを地上軍で封鎖し遮断する必要があった。
 事実撤退直前にニクソンによって行われたカンボジア侵攻ではホーチミン・ルートの一部遮断に成功し、共産軍に大打撃を与えることに成功した。
 ヴェトナムに本格介入に踏み切った時、アメリカ国民の支持率は極めて戦った。
 初期に兵力を大量集中投入し、北ヴェトナムでの地上戦を挑むしかなかったのだ。中共の介入は確実だが南ヴェトナムを守るにはそれしかなく決して勝てない相手ではない。
 ヴェトナム戦争は過度の政治的配慮で、どこか腰が引けたような介入となってしまった。それこそがアメリカの敗退をもたらしたのだ
                                滅罪


posted by 右野翼 滅罪 at 20:56 | Comment(0) | 【日記】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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